CHA

時折、中国茶を楽しむ。

好きな茶葉は「東方美人」や「正山小種(ラプサンスーチョン)」。「プーアール茶」もシガーに良く合う。

中国茶は茶葉の種類も多く、茶道具もいろいろ揃えなければいけないと思っている人がいるが茶壷が一つあれば結構楽しめるし日本の抹茶・煎茶などに比べ作法もうるさくないし気軽に付き合えるお茶だと思う。

シガーを吸いながら中国茶を3煎、4煎と味わっていると軽く酔った感覚になる時がある。「茶に酔う」という言葉があるが、シガーも中国茶も発酵させた嗜好品だからだろう。

道具も凝ったらきりが無い。中国茶は自由なお茶なのだから思い思いに道具を見立てて楽しむのが良い。
道具も凝ったらきりが無い。中国茶は自由なお茶なのだから思い思いに道具を見立てて楽しむのが良い。

文豪、大兄、太公望

本当に大事な物ってあまり人に教えたくないんですが・・

「河は眠らない」

文豪、開高 健氏のアラスカでのキングサーモン釣りのビデオである。(DVDも出ています)50ポンドを超える巨大なキングサーモンとの戦いを通し全編に文豪の珠玉の言葉が溢れている傑作である。これは釣りのビデオであるが一人の男の哲学のビデオでもある。

80年代に制作されたこの映像を私はテープが擦り切れるほど観た。おかげで文豪の台詞のほとんどを覚えてしまうほどになった(笑)。それほどこのビデオは私にとって魅力に満ちていた。

大兄曰く「総じて人生は短い。やれる内やりたいことをやりなさい!グラスに酒が入っていたら飲み干しなさい!あとで飲もうと思ってもその時にはもう雫は残っていない」と。

私の勝手な思い込みにすぎないのだが、人生の折り返し地点を過ぎた男子に是非観てほしい作品である。

いくつかの戦争を経験してから太公望になったという点ではヘミングウェイと同じ。フィルソンのWマッキーノクルーザーを着こなす大兄はダンディーな紳士でもあった。
いくつかの戦争を経験してから太公望になったという点ではヘミングウェイと同じ。フィルソンのWマッキーノクルーザーを着こなす大兄はダンディーな紳士でもあった。

equipment

サーファーにとってサーフボードとウエットスーツは最重要アイテムだが、それ以外にこだわりたいのがビーサンとタオルだ。

1ヶ月ほど前のことだが長年愛用していたビーサンの鼻緒が切れてしまった。切れた拍子にすべって転び痛い思いをした(笑)。十五年位愛用し皮膚の一部と化したビーサンだったが、ちょうど寿命だったんだね。

今年は愛用品の入れ替わりの年なのかビーチタオルも色あせてきたので新調してしまった。
「SALTWATER COWBOY」というシャレたネーミングに誘われたこのタオル。ナバホブランケットのような柄も気に入った。

今治タオル製なのでクオリティーは保証付だ。
今治タオル製なのでクオリティーは保証付だ。

Home Point

先週に引き続き、今週もホームポイントである千倉でサーフ。セットは腹強位。

毎年、春先は沖に砂が溜り右の岩場寄りが良い地形になる。私が入った引き潮の時はダンパー気味だった波も潮が上げてきたら良くなってきた。

千倉海岸は、毎月第三日曜日のビーチクリーンのおかげでとてもきれいに保たれている。

そのきれいな砂浜ではパパのライディングを見つめる若いママとベビーのピースフルな光景が。

家庭は「平凡」が一番です。けして「非凡」であってはいけません。(笑)
家庭は「平凡」が一番です。けして「非凡」であってはいけません。(笑)

午後の陽射し

春らしい陽気が長続きしませんね。でも冷たい風の中ででも春らしい陽射しを感じることが出来ます。

チャーリー・ヘイデンはJAZZのアルバムの中でもビル・エバンス、キース・ジャレット(スタンダーズを含む)に次いでCDを多く持っているミュージシャン。集めたというよりは、長い年月の内に自然に増えていた感じ。

この「Land Of The Sun」は午後の暖かな陽射しのようなアルバム。長年これを聞いていますが、聞くたびに私を癒してくれます。ピアノのゴンサロ・ルバルカバも好きです。

夜になったら同じくチャーリー・ヘイデンの「Night and The City」もお薦めです。ピアノは、これまた好きなケニー・バロン。
夜になったら同じくチャーリー・ヘイデンの「Night and The City」もお薦めです。ピアノは、これまた好きなケニー・バロン。

チェスターフィールド

「本当に気に入った物を長く使い込む」が私の物に対するスタンスだが、ヨーロッパなどではそれが当たり前のように浸透している。

特に家や家具といったものは代々受け継がれていて、数百年単位の付き合いにもなるという。何代も使われてきたであろう味のあるパイン材のダイニングテーブル、昔おじいさんが座っていたウィンザーチェアーには今、父親が座っている・・・といった風に。

この「チェスターフィールド」のソファーはイギリスのアンティーク。分厚いレザーの堅牢な作りゆえ私が生きている間はビクともしないだろう。

昔の日本の家屋も、地元の材木を使う事により現在の住宅よりもかなり耐久性があったという話を職人さんから良く聞く。
昔の日本の家屋も、地元の材木を使う事により現在の住宅よりもかなり耐久性があったという話を職人さんから良く聞く。

貝の行方

サンドカフェのカウンターに貝のコレクションが飾ってある。

それらは、以前千倉にあった貝の店で買い求めたものだ。その貝の店の店主はその世界では有名な人で日本貝類学会に参加したり、自分が発見し自分の名前のついた貝もあるほどだった。外人のコレクターもよく彼の店に出入りしていたりした。

貝の魅力を私に教えてくれたその人はもういない。遠い世界に、いや貝になって海深く沈んでしまった。静かな世界に。

やっと安住の地に辿り着いたと思いたい。

テラマチオキナエビス貝は想い出の貝になってしまった。
テラマチオキナエビス貝は想い出の貝になってしまった。

波当て

休日の午前はカミさんがヨガに行くので波乗りは午後から出かけるというパターンになっている。

当然風向きの変化や潮の干満、うねりの具合などによって午前中のいい波を逃してしまうこともあるし、またその逆の場合もある。このあくまでLet it be的スタンスが福を呼ぶ(笑)

この火曜日も午前は激しい雨と風の荒れ模様だったが、11時頃から急に晴れて気温もグングン上昇してきた。

さて、午後はどこのサーフポイントに向かうか?となる。

この間は南西の風で「Pier Point」だった。今日は北西っぽい。外房も良いだろうが「RockBeach」が良さそうな気がしてならなかったので直感を信じピンポイントで直行した。

最近は波が立つと混雑するRock Beachだが海には7,8人のサーファーしかいなかった。しかも波はコンスタントに腿、セットで胸弱と充分すぎる。

私はカミさんにチョット自慢げに「当てたね!」と言った。(笑)

波当てもセンス オブ ワンダーのひとつかも知れない。なんて思ったり・・・
波当てもセンス オブ ワンダーのひとつかも知れない。なんて思ったり・・・

3彦との再会

私の数少ない大学時代の友人達は3人とも名前に彦が付く。信彦、直彦、敏彦だ。

今回、新潟の信彦の計らいで24年ぶりの再会が実現した。卒業してからもう33年になるんだね。

上越新幹線の燕三条駅に着くと懐かしい顔が出迎えてくれた。ちょっとふっくらした信彦だった。久々の再会、積もる話は酒の席でと我々は弥彦温泉の信彦知り合いの旅館に向かった。

24年振りとは言え、毎年歳末にはお互いに郷土の物産を贈り合ったりしている為か時差を感じない。いやそれが同窓会なのだろう。前回六本木で会った時は4人とも公務員や銀行員と堅い仕事に就いていた。

人生いろいろ、直彦以外の3人は個人の仕事に変わっていた。漁師、運転手、カフェのオヤジと。それもそうだろう、学生時代の我々はクラスやグループに馴染めないタイプの奴ばかりだったから。

私も自分で「個人の人」だとよく思うことがあるが、こうしてそんな奴らが時を経て新潟の温泉で酒を酌み交わしている時間を味わっていると「縁て不思議だよな」などと純な気持ちに舞い戻る。

新潟の信彦、私、群馬の直彦、山梨の敏彦と弥彦神社にて。次回は千倉で会おう。
新潟の信彦、私、群馬の直彦、山梨の敏彦と弥彦神社にて。次回は千倉で会おう。
アイルランド?ノルマンディー?いや、ここは角田浜。写真には写っていないがここは佐渡島に一番近い海岸。夏は遠浅の海水浴場になるという。日本海の松林って郷愁を誘うね。
アイルランド?ノルマンディー?いや、ここは角田浜。写真には写っていないがここは佐渡島に一番近い海岸。夏は遠浅の海水浴場になるという。日本海の松林って郷愁を誘うね。

大人の書店

代官山にオープンした「蔦屋書店」に行った。ここは大人の為のTSUTAYA。

いろいろなジャンルの専門雑誌、洋書に加えDVDやCDの品揃えも豊富だ。各分野ごとのコンシェルジェもいるし、ソファーでゆったり休憩しながら読書できるカフェラウンジ「Anjin」も二階にある。

何より我々50代、60代が落ち着いてゆっくり出来る雰囲気や設えとスタッフの丁寧な対応が好ましい。

散歩道でつながったTサイトガーデンには自転車やカメラのなど7つの専門店が軒を連ねていた。

ここは大人の知的好奇心をくつろぎながらチャージしてくれる、絶好の都市の散歩スポットだ。

クライン・ダイサム(イギリス)の設計、原 研哉氏のグラフィック、池貝知子氏のディレクションが結実した。
クライン・ダイサム(イギリス)の設計、原 研哉氏のグラフィック、池貝知子氏のディレクションが結実した。
サンフランシスコ発のライフスタイル誌「Anthology」は蔦屋書店で見つけた私のお気に入り。サンドカフェに置いてあります。
サンフランシスコ発のライフスタイル誌「Anthology」は蔦屋書店で見つけた私のお気に入り。サンドカフェに置いてあります。

さわやかに

1994年の3月にサンドカフェを開店した。

その時37歳だった私は55歳になっていた。

分かってはいるが時間の経つのはあまりに早い。アッという間の18年。

ただ不思議なもので長年マスターをやっているが、毎朝店をオープンして来客を待つ気持ちは変わらず「新鮮」だ。

これからもフレッシュな気持ちで20年を目指したいと思う。

私はあまり先のことを考えて行動するタイプではない。せいぜい2~3年先か。20年続いたらその後のことを考えるとしよう。
私はあまり先のことを考えて行動するタイプではない。せいぜい2~3年先か。20年続いたらその後のことを考えるとしよう。

矜持

久しぶりに「海岸美術館」に行った。

カフェを始める前の3年間、私は浅井慎平氏が創設した海岸美術館のスタッフとして働いていた。当時、浅井さんからは沢山の事を学んだ。それがその後の人生にとても役立っている。もちろんカフェの営みにも。(サンドカフェの名は浅井さんから頂きました)

久しぶりの美術館を感慨深く観て周りミュージアムショップに入ると1冊の本が目に留まった。「ラジオからビートルズが流れていた」という浅井さんのフォト&語録だった。

夢を追い駆けると
夢がきみを追い駆けてくる
夢のバトンを渡してくれるのだ。
落とすなよ。

インスピレーションは永遠をつくり
思いつきはその場をしのぐ。
非凡と平凡はその差です。

キラッと光る鉱石のような言葉と写真の一冊です。

美術館は学校だったのかも知れないと思う。私は中退してしまったが。

海岸美術館、千倉の矜持です。
海岸美術館、千倉の矜持です。

ホームパーティー

若い人たちが家に遊びに来るというのでオデンパーティーをした。ちょうど末娘も春休みで帰宅していて10人程のにぎやかなパーティーだった。

赤ちゃんを抱かせてくれた若いパパのお父さんと私は高校の同級生だし、東京から千倉に移住して雑貨店を開いた方はカミさんの地元だったりと、不思議につながりますね。

彼らが発行している南房総のフリーペーパー「0470」の事や自分の知らない地元の情報などニッキの焼酎を飲みながらの楽しい時間が過ぎていった。

※ニッキの焼酎とは、千倉エリアで密かに流布しているニッキの根っこを焼酎に漬けて風味を出した密造酒。(笑)安い焼酎が旨口の焼酎に変身するんです。

おでん、春巻き、炊き込み御飯、デザートとカミさんの手料理がテーブルを盛り上げてくれた。感謝。
おでん、春巻き、炊き込み御飯、デザートとカミさんの手料理がテーブルを盛り上げてくれた。感謝。

Pier Point

先週の休日は、腰痛で波乗りは断念した。週一度の浄化が出来ないと何かスッキリしない。今週は腰の具合もかなり良くなったのでリハビリがてら海に漂いたいと思っていた。

が、しかし昨夜から強い風雨が続いていた。半分あきらめの気分、半分自分の波運の強さを信じていた。

すると、午後一時過ぎから雨脚が止んで南西風も幾分弱まってきた。長年の直感で今日はPier Pointに波がありそうな気がして急いで向かった。

珍しく踏み切りで捕まった。一時間に一本の電車に。「今日は当たりだと思った。」(笑)

やはりPier Pointにはサイドオフショアながらロングボードで乗れる波がブレイクしていた。

初めてここに来たというシングルフィンのロンガーと私たち夫婦の三人だけで遅い時間までサーフした。少しずつ日が伸びているんだね。それだけで嬉しくなる。

夕方、帰りの踏み切りでも捕まった。やっぱりね!
夕方、帰りの踏み切りでも捕まった。やっぱりね!

アインシュタインに聞く

今は遠ざかってしまったが、一時ツイッターをしていた時があった。ツイッターが何となく自分の世界じゃないなと感じてはいたが、覗きついでにいろんな方のつぶやきを垣間見ていた。

その中で「アインシュタインの言葉」をつぶやいていた人がいてちょっと印象に残っていた。私の抱いていたアインシュタインのイメージとは違ってヒューマンなその言葉に親近感を持った。

「わたしは日常生活ではひとりぼっちですが、真・善・美のために努力している人々のひとりであるという意識のおかげで孤立感を持たずにすんでいます」

「結婚に際して、女性は男性が変わることを期待していますが、男性は女性が変わらないことを期待しています。両者が失望するのは当然です」

「現代人のモラルが恐ろしく荒廃している原因は、生活が機械化して人間性を失っているからだと思います。それは科学技術の悲惨な副産物です」

「日本はすばらしかったです。人々は絵のように美しい国に暮らしています。上品なマナー、芸術的感性、誠実さ、良識。どれをとっても最高でした」(1922年の来日の際)耳が痛い!

20世紀の知の巨人は、真っ当でユーモアがあり誠実な人のようだ。

私は夜、ひとり酒を飲みながら時々この本のページををめくるのである。

私は、じっくり向き合えるブログでつぶやいて行きます。
私は、じっくり向き合えるブログでつぶやいて行きます。

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