水丸さんからの贈り物

この3月、安西水丸さん没後10年という事で雑誌「Coyote」の特集号が出版されました。

水丸さんの二人のお弟子さん、山崎杉夫さんと信濃八太郎さんが千倉の水丸さんゆかりの場所をスケッチ旅する企画の中でカフェも紹介して頂きました。

始まりは「サザエカレー」を水丸さんにカレー本に紹介して頂いたのがきっかけでした。懐かしいです。

「亡くなってもう10年経つのか・・」と感慨深く読ませて頂きましたが、実は奇しくもこの3月はサンドカフェの開店30周年と重なったのです。

この「Coyote」に掲載して頂いた写真とお二人のイラストを見ながらきっとこれは水丸さんからの30周年の贈り物ではないかと思ったのです!

10年の歳月を経てますます高まる水丸さんの人気にあやかり、これからも頑張っていきたいと思った次第であります。

30年ドリップし続けていますが何処に向かっているのか・・そう自分の理想に向かうのみ。

この「Coyote」ぜひご覧になってみて下さい!

そして皆様、いつもカフェを支えて下さり厚く御礼申し上げます。

お陰様で30周年を迎える事が出来ました。

これからも千倉の潮の香り漂う「Sand CAFE」を宜しくお願い致します。

楽しく美味しい時間

長年カフェに来て頂いていたご家族が縁あって千倉に移住して3年。

その羽鳥さんからランチにお誘い頂いた。

もう少し人数が増えても大丈夫と言う事なので、ちょうどカフェの斜め海側にセカンドハウスが完成した飯塚さんご夫妻もお誘いし館山の那古にある「みず田」さんにお邪魔させて頂きました。

やはり飯塚さんもセカンドハウスを建てる前からの長いお付き合いで、今回羽鳥さんにも紹介をしたかった私たちと同年代のフランクなご夫妻。

何でも羽鳥さんがお店を予約したのが1年2ヶ月前、今は3年先まで予約が一杯で予約を受け付けていないと言う隠れた人気店。

住宅街の中に縄暖簾だけが目印のお店。お客は1日一組のみ。今日は我々6人で貸切。

「みず田」さんは人気店とは思えぬ気どらぬ雰囲気、それは気さくなお母さんの接客と穏やかな息子さんの丁寧な仕事ぶりで営んでいるお店だからと感じます。

気のおけないシニア三組、女性陣はワイン&日本酒でご機嫌でした。

このコースで2500円とは良心的なお値段。コスパ高すぎです。

私は存在感を漂わしている主人よりお店の空気と一体となっている主人が好きです。

ここ「みず田」の主人は正にそんな雰囲気の方でした。

私もカフェのマスターとして、それが理想なんです。

そこに流れる空気と一体化し、居るけど見えないという境地に達して見たいものです。

お酒の進む品々ですが私は今日はノンアルで。
優しく繊細な味は料理人を反映しています。
天麩羅は2回も出てきました。ホタルイカの炊き込みご飯は土鍋で。 いやー満足至極!

羽鳥さんや飯塚さんのように周りに気の合うシニアの方々が増えて来てこれからの老後(笑)が楽しくなって来ました。

4年先か5年先か分かりませんがこのメンバーで再来出来たら最幸ですね!

海雑貨屋「Deck Shoes」

サンドカフェの隣に海雑貨のお店「Deck Shoes」があるのをご存知?

長年カフェに来て頂いている方で知らない人も多いかも・・笑

 

若い時から千倉に小さくて個性的なお店が点在したら素敵だな、なんて思っていました。

散歩や自転車で巡れるストリートや界隈がある町って住んでても、小旅行で訪れても気分が上がるじゃないですか。

カフェ、食堂、パン屋、古着屋、植物のお店、骨董屋、生活雑貨屋、ギャラリーなど理想は尽きません。

海辺の小さな町だけど、そんな所ならいつか住んでみたいとイメージが湧くでしょう!

ただ小さな店ほど専門性や個性が必要ですが。

 

それでカフェをオープンする時に隣に海雑貨のお店を併設したんです。

私もまだ30代後半だったから、ずいぶん前の話ですが・・

その後、実家の一角でアンティークショップを開いたりしたのもそんな思いがあったから。

海好きの方、ぜひ覗いてみて下さい。
カワイイ系の雑貨も色々あるんですよ。
潮風に合うオリジナルTシャツ、トレーナー、真鍮の船具も好きです。
ビーチコーミングで見つけた漂流ボトルコレクション。

南房総は住むには国内でも最高の場所だと感じるんですが、自然が残ってるってだけじゃ地方の過疎化の大きな流れには抗えないと思うな。

誕生日プレゼント

1月23日、今日で67歳を迎えた私。

以前からカミさんに断捨離用に軽トラがあればなあ・・とつぶやいていたのだが、何と私の誕生日に軽トラをプレゼントしてくれた!(もちろん中古ですが)

「ありがとう、大事に酷使させていただきます」

 

昨年末にお袋の一周忌を終えたので、そろそろ実家の整理に取り掛かりたいのと長年そのままになって来た私達の不用品を断捨離しようと考えていたので軽トラは実行に移す良いきっかけになりそう。

年式は古いが走行距離は2万キロちょっと。

「あなたに軽トラは全然似合わないよ」ってカミさんは言ってましたが、どうしてなかなかイケてるじゃないですか!笑

出来れば近場のサーフィンにも軽トラにロングボードを積んで行きたいと画策を始めてます。

孫達のお正月

我が家では、年末からお正月にかけて長女一家と三女も帰省して全員集合で賑やかに過ごしました。

孫も男の子3人集結すると喧嘩したかと思うと仲良く遊んだり目まぐるしいったりゃありゃしません。

喧嘩の後も仲良くお風呂って、子供って良いよな!

それと、総勢9人のなのでカミさんはご飯の支度も大変です。

しかも、ちゃんとオヤツ作りまで考えていて脱帽です。

今日はピザ作りです!なかなか筋イイね!
次の日のオヤツはケーキつくり。ちゃんとトッピング出来たかな?自分で作ると興味が湧くかも?です。

孫も中学や高校生になると部活やなんだかんだで段々来なくなったりするんでしょうが、今この時を楽しませてもらっています。

 

今年も『アナログモノローグ』ぼちぼちアップしますので宜しくお付き合い下さい。

花と龍

12月21日はお袋の命日、そして一周忌でありました。

ユミちゃんは高校生だった頃にカフェでバイトしてくれた縁でそれから長いお付き合い。

そのユミちゃんがお花をお店に届けてくれた。

ありがとう!お袋の命日を覚えていてくれて。

お袋も喜んでくれていると思います。これからも浜の郷の女将さんとして頑張ってね!

そして幼馴染で親友のクリも線香をあげに実家に来てくれた。

彼は南房総を代表する人気の宿「夢みさき」を築き上げた男なのですが、不思議と昔から気が合いどちらかが何かあったら弔辞を読むと約束している間柄。

クリが線香をあげてくれ実家の外に出たとき「面白い雲だね!」と彼が言った。

「えっ」と空を見上げるとそこに龍神が!

空には龍神の他に雲は無かった。玉(ドラゴンボール)も傍に見える。

クリのお陰で年の瀬に良い物を見れたと思った。

 

本年もブログにお付き合いいただきましてありがとうございました。

そして今年もお疲れ様でした。

皆様にとって幸多い新年となります様お祈りいたします。

孫を背負いて

今年は孫を連れての一泊二日の弾丸旅行が多かったんです。

石垣島(フサキリゾート)、八景島シーパラダイス、それと那須(リンドウ湖)にも行きました。

そして2023年の締めくくりは20年ぶりのUSJでした。

当時あったターミネーターやETは無かったですがジョーズやジュラシックパーク、ウオーターワールドなどは健在でしたし任天堂ワールドやミニオンズなど人気のアトラクションで充実していました。

USJは入園料がチョット高めですが各アトラクションの完成度は高いと思います。

活発でテンションの高いユウくんは前半飛ばしすぎて後半はおんぶとなります。

また突然走り出し迷子になりそうな事もあるので背負ってたほうが安心出来るのもあります。

次女はシングルマザーですので時にパパ代わりもしなければなりませんし・・

あっち行け、こっち行けと指図されるんですが、こっちもサーフィンのトレーニングと思って頑張ります!

アジア系のインバウンドの人達や修学旅行で大混雑でしたが頑張って並んでミニオンのアトラクションにも乗れて満足でした。

ここだけの話ですが、USJはお酒を飲める場所が多いので救われますね 笑

神様の選曲

お店のカウンターに座られた事がある方ならサンドカフェのミニチュアの模型が飾られているのをご存知だろう。

その模型を製作し贈ってくれたのは、東京から波乗りに来ると時々お店に寄って頂いていた私と同年代のオールドサーファーM氏。いつも真っ直ぐな眼差しのお友達と一緒でした。

長さ24〜5cmほどの精巧な木製である。

先日久しぶりに相方のお友達がお見えになったのでM氏はお元気ですかと尋ねた。

いつもこの模型を見るとM氏達まだ波乗り続けてるのかな?とか思い出してましたから。

 

「マスターにもう少し早く伝えたかったんですが二年前の夏・・」と聞いた時心が後退りした。

「・・千倉にある宿で脳出血で倒れ亡くなったんです」と・・・

 

好きだった千倉の海が目の前の宿で旅立ってしまったM氏、それが救いだったと思った。

そのお話を聞いた後、切ないメロディーの曲が流れて来た。(カフェのBGMは古いスマホからシャッフルで流している)

「デスペラード」

イーグルスの名曲をジャズシンガーのダイアナ・クラールがカバーしているのですが思わずお友達も私もこみ上げて来るものがあった。あの頃サーフィンにハマった人ならイーグルスは避けて通れないバンドだから。

何百曲も入っている中で何と「デスペラード」がかかるとは・・

 

帰り際お友達が「Mさん、デスペラードが好きで時々口ずさんでたんですよ!」と赤い目で私に話してくれた。

あの時、あの曲は神様が選曲したんだと思った。

M氏は今、房総半島を望む三浦半島の突端に眠っている。

修復の旅

前回のブログでベネチアの「ハリーズ・バー」について書きましたが、吐露するとその時のイタリア旅行は私にとって大きな意味を持つ旅だったのです。

 

場面は今から15、6年程前にパーンしますが(古い言い方だとこうなります)その当時私はカミさんとかなりギクシャクしていてあまり良く無い関係に陥っていました。

あのまま私に「気づき」が無かったら子供を連れて実家に帰られていたかも知れませんね・・

 

それは、私の夢に付き合ってくれているカミさんに対して思いやり・優しさが足り無かったからでした・・

何とか悪くなってしまった関係を修復しようと一か八かお金はありませんでしたが私はカミさんをイタリア旅行に誘いました。

好奇心の強いカミさんなので今まで行ったことが無い「根アカ」な場所が良いと思ったのです。

 

ミラノ、フィレンツエ、ローマ、ベネチア、ナポリとイタリア縦断の旅でしたが、50歳頃のあの旅が私とカミさんのその後の人生の大きな分岐点になったと言っても過言ではありません。

そう、あの時の旅はイタリアしか考えられませんでした。

秋の夜長に・・

秋の夜長にフト思う。

知らず知らず時は流れ・・

いつしかサンドカフェに30年近い月日が流れていたと・・

 

振り返れば37歳の時に熱い思いだけで千倉にカフェをオープンした。

ジワジワ当時のことが脳裏に蘇って来る・・

 

カミさんに「飲食店はホントに大変だよ」って諭されたこと。

理想主義に走りがちな私を熟知している人の意見だった。

理想と現実のバランスをどう取るのか?この海辺の小さな町で・・

ただ私には根拠の無い確信のような物はあった。

「スタンダードなものは永く支持されると」

 

あれから30年。

小さな奇跡なのか、店はまだ続けさせて頂いている。

開店当初から変わらない「老人と海」の世界。

私の憧れるベネチアの「ハリーズ・バー」の本に書かれていた永きに渡り人々に支持されている小さな店の秘密。「シンプル」「クオリティ」「微笑み」を指標にこれからも店を続けて行ければ幸いです。

左は大好きだった安西水丸さん翻訳の日本版。右は本店で買ったイタリア語版。もう一度水の都ベネチアを訪れハリーズバー発祥のカクテル「ベリーニ」を飲んで見たいと時々思う。

「微笑み」は広く解釈すれば「愛」だと思います。

「ようこそ!」と言うおもてなしの心では無いでしょうか。

それと、もう一つの「クオリティ」をいつも厨房で支え続けてくれているカミさんに最大の賛辞を贈らねばならない。

 

そんなことを思った秋の夜長。

崖は裏切らない

南房総という理想郷に暮らし、サーフィンをライフスタイルとしてのんびり楽しんでいる私ですが時としていつもと違う場所に行きたくなるんです。

毎年、春と秋にいつもの波乗り仲間と銚子方面に出かけます。同じ千葉ですが流石に銚子エリアは日帰りはキツいので一泊宴会付き旅となります。

これがいつも不思議といい波に当たるんです。

日本のドーバー海峡と言われる屏風ヶ浦(崖下)はお気に入りの場所です。風が合わなければお隣の茨城もすぐですし。

今回も良い波・良い天気に恵まれました。

一緒に行った仲間は「いつも崖は裏切らない!」と述べておりました。名言です。

さあ、今日の波はどうかな?
九十九里浜の砂浜で波をチェック。やっぱり崖に行きます。
70代もこうして波と遊んでいたいが。

行きは圏央道を走り現地集合ですが、帰りは一宮のパタゴニアとか寄りながら海岸線をのんびりドライブしながらのショートトリップが好きですね。

機嫌の良い人

もうじき67歳になる私。

いったいこの先何歳まで生きるのか?いや生きてしまうのか?

それは神のみぞ知る事なのですが、流石に60代でお呼ばれするのはちょっと早いかなと。

できれば喜寿あたりでサヨナラ出来たらなと勝手に思っている次第です。

人間の欲望はキリがありませんし、親父やお袋みたいに80代半ばとか90代まで長生きは全く自信ありませんから・・

 

ただ、お迎えが来る日までどんなジジイで居たいかと聞かれれば「機嫌の良いジジイ」と答えます。

その象徴が俳優だった笠智衆。いつも機嫌の良い穏やかな波長の憧れのジジイなのです。

実は、いつも機嫌の良いジジイになれる様に小道具は揃えてあるんです。

ステッキとパナマ帽。
象牙が取っ手のステッキはやっと巡り会えた物。手に馴染みます。

でも、いつも機嫌が良い人って魅力的だし免疫力も上がりますから・・って、実は長生きしたかったりして(笑)

ラハイナの衝撃

マウイ島の大規模な山火事でラハイナの町の約8割が焼失した映像を見てショックを受けた。

 

私は若い時からラハイナの町が、19世紀に栄えた歴史的港町を当時の雰囲気を保ちながらリゾート化している事に興味をもっていた。残すべきものは後世に残すと言うか、新しきが古きを淘汰しないんです。

その古い港町を象徴しているのが船員達の旅籠だった「パイオニア・イン」という宿屋。

そこに等身大の木彫りの船長さんが置かれていて皆んな一緒に記念写真を撮っていたものだ。

潮くさいラハイナを象徴する老船長。

海岸通りには同じテイストで建てられたお店がズラッと並んでいた。ギャラリー、レストラン、ブティック、アンティークショップetc。海に突き出たレストランには波しぶきが当たるほどだった。

観光客はこの界隈をのんびり散歩しながらウィンドウショッピングする。リゾートのストリートにはギャラリーが多く自宅やセカンドハウスに飾るアートなんかを物色する人も多い。

初めてマウイ島に行ったのが早20年以上前。

妹の家族と両親、カミさんのお母さんも一緒だった。私も妹も子供が4人ずついるのでかなりの大人数の旅だった。ラハイナ散策やハレアカラに登ったりパイナップル畑でパインをカットして食べたり楽しい思い出が沢山ある。

2回目のマウイは10年前、佐藤さん夫妻とのサーフトリップだった。

ラハイナの町は何も変わらず潮くさいオールドタウンのままだった。こんな場所は変わらないでいてくれて良かったと思った。

夜食事に出掛けたらハロウィンの時期で通りは賑やかなパレードが繰り出していたっけ。

町の殆んどが焦土と化してしまったラハイナ。私の好きだった海岸通りの街並みや木彫りの老船長も今は無い・・

被災した町の皆さんの1日も早い復興をお祈りします。

新盆でした

咋年末亡くなったお袋の新盆でした。

ひ孫も「なむ〜」

横浜からバイクでカフェにいらっしゃる「心優しきカメラマン氏」が撮ってくれたデイズギャラリーで店番しているお袋の写真を遺影にしました。そのポートレートを見て私の姉や妹、その子供達から「おばあちゃんの想い出として欲しい!」とのリクエストがあったので焼き回しして配りました。

私も柔らかい光のその写真が気に入っていてフレームに入れ遺影に使わしてもらいました。

先日はソール・ライターへのオマージュ的写真をプレゼントして頂き有難うございます。

いつも大きなバイクに乗って来て下さる「ダンディなハーレー氏」

「これお母さんの新盆にどうぞ」と言って自作の竹製灯篭を持ってきて下さいました。

いつもDIYで小屋やデッキを自作しているお話は伺っていましたがこの竹灯籠の仕上がりは納得してしまいました。なんでも尺八用のドリルで穴を開けたのだそう。確かに普通のドリルでは竹の繊維でここまで滑らかな仕上がりにはなりません。中に入れる電球まで用意して頂き痛み入ります。

お袋もこの灯籠で迎えられて喜んだ事でしょう。有り難うございます。

お盆の前日、久しぶりにシガーとライカを愛する「ヒットマン氏」が姿を見せた。

コロナ前からなので3年ぶり、一見強面だが気遣いの人である。

今回も煙2種を持参してくれた。

「線香はお母さんに、ダビドフのシガーは私に」と言って手渡してくれた。粋な方である。シガーは何かいい事があった時吸わせて頂きます!

皆さんカフェに来て頂き知り合った方々。

有難い事この上無い。

BOSS SURFDINERへ

サーフィン仲間である宇田川夫妻が、平砂浦(館山市)の自宅に念願のレストラン「BOSS SURFDINER」を開店したので早速伺って来ました。

ご主人のコウセイさんは長いキャリアのシェフの他にボスサーフボードのシェイパーとしての顔もあり私やカミさんのボードを削って貰っています。(レストランの隣がシェープルーム)

一緒にサーフィンしてライディングのスタイルや癖を把握している人にボードを作って貰うべきだと考えます。

また奥さんのクミコさんは「cicero」というブランドで活躍する帽子作家さんです。私も彼女に作ってもらったパナマ帽を長年愛用しています。

懐かしいキューバ旅行にもかぶって行きました。エクアドル産本パナマを使用しているので長く愛用させてもらっています。

ちょうど我が家に滞在中のカミさんの従姉妹のサイちゃんとナオちゃんを誘い息子と5人でディナーをご馳走になりました。

アミューズ、前菜盛り合わせと続き魚は鯖のハニーマスタードソースが絶品の一皿でした。

ボリューム感のあるコース料理を提供したいとシェフが語る通り満足感を味わえました。コーヒー・デザートまでこだわってコスパ高いディナーなのでまた行きたくなりますね。

シャンパンからのワイン3本と料理が美味しいとお酒も進みました。

宇田川夫妻ご馳走様でした。またすぐ伺います!

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