4月になるとカミさんは、サーフィンを再開した。
去年までは冬もそれなりに海に浸かっていたのだが、今年に入ってからは私が誘っても首を立てに振らなかった。
それもそうだ、男でも還暦近くなるとフルスーツを着ての真冬のサーフィンは相当キツイものがある。
私は老いを肯定的に受け止め、歳相応のサーフィンをしていきたいと思ってはいるが、もう彼女が真冬にサーフィンしないことは想像に難くない。
それでも春から秋にかけてのシーズンには、末永く海に同行してくれると良いのだが。
4月になるとカミさんは、サーフィンを再開した。
去年までは冬もそれなりに海に浸かっていたのだが、今年に入ってからは私が誘っても首を立てに振らなかった。
それもそうだ、男でも還暦近くなるとフルスーツを着ての真冬のサーフィンは相当キツイものがある。
私は老いを肯定的に受け止め、歳相応のサーフィンをしていきたいと思ってはいるが、もう彼女が真冬にサーフィンしないことは想像に難くない。
それでも春から秋にかけてのシーズンには、末永く海に同行してくれると良いのだが。
旅先の本屋でインテリアなんかの雑誌を良く買います。
ちょっと時間のある時などにパラパラめくるのが好きだから。
この本は昨年バイロンベイで見つけました。
滞在中に時々めくっては結構楽しんだんです。
ただ大きくて重い本だったので帰りが大変でしたが・・笑
好きなロングボーダーは何人かいますが、デヴォン・ハワードは私の理想とする波乗りを私の代わりにしてくれます!?
こんな風に波に乗れたらさぞや気持ちイイだろうな、と思わせてくれるんです。
スタイルはあくまでオーソドックス。
正統派なんですが、テイクオフからプルアウトまでのゆったり流れるようなアクションにはストーリーがあるかのよう。
特に好きなのはボトムターン。深いボトムターンから波のトップで板を滑らかに返します。
リッピングやハングテンも全体の流れの中の一つとして在る、真に円熟した大人のサーフィンと申しましょうか。
デヴォンさんの動画を見ると無性に波乗りしたくなる私。
さあ、めっきり春らしい陽気になって来たし、明日は久し振りに海に浮かぼうかな・・むろん私流に。
「海岸美術館」が2月末で閉館した。
一つの時代が終わったんだね、とカウンターの先輩が言った。
私は、その言葉にうなずきながら27年前の創設当時の様々な事を思っていた。
私が34歳の時である。
理不尽な壁を乗り超え開館した経緯、浅井さんを囲んだ楽しい時間、植樹や開墾の日々など・・
だが、海岸美術館の創設に携われた3年間を経験出来た事は凄くラッキーだったと思う。
それからの私の人生の糧となっているからだ。
私にとって海岸美術館はやっぱり学校のようなものだったんだと改めて思う。
ウン、でもやっぱり寂しい・・
暖かな日に、次女の神前結婚式を日本で唯一・料理の神様を祀る千倉の「高家(たかべ)神社」で行いました。
新郎も料理人、私達も飲食業なので正にピッタリの「高家神社」、神主さんはじめスタッフの皆さんの暖かな気持ちが伝わって来て、式の始めから終わりまでとても清々しい気持ちでした。
料理関係の方ばかりで無くても「高家神社」お薦めです。
神主さんが新郎新婦に贈ってくれた万葉集の歌、思いやりの心の話、二人は胸に刻んでくれたかな・・
娘の結婚式は長女に次いで二人目ですが、再び何とも言えない幸福感に包まれました。
「ありがとう」
私がアルバム作りの名人だと思うチャーリー・ヘイデン。
親しみやすく且つ深い所に響く音楽性は、全く聴き飽きることはありませんね。
チャーリーさん(故人)はベーシストなので色んなジャズプレーヤーとコラボしています。
ピアニストだとゴンサロ・ルバルカバやケニー・バロン、ジョン・テイラーなど。ギタリストならパット・メセニーと。
これらのアルバムを私は時間帯や季節などで聴き分けて楽しんでいます。
上の段左から、昼間は「Land of the sun」夕方は「Nightfall」夜になると「Night and the city」と、まあそのままなんですが・・
下段の2枚「Beyond the Missouri sky」は秋〜冬に、そして「Nocturne」は梅雨〜夏の時期に聴く機会が多いんですが、特にこの2枚は傑作だと思いますね!
長年朝9時より開店しておりましたが4月1日から開店時間が10時30分に変わります。
そして店内全面禁煙となります(テラス席のみ喫煙可)。
どうかよろしくお願い致します。
D&DEPARTMENTが発行する都道府県別の旅行ガイドブック「d desigh travel 千葉」がこのほど発刊になります。Sand CAFEも載せて頂きましたが渋谷ヒカリエ8階で発刊記念イベントが始まっております。各掲載店舗にまつわる品々を展示するコーナーですとか千葉の美味しい手土産品ストア、房州ひじきやアジのなめろう、イワシのつみれ汁がセットの千葉定食なども食堂で頂けます。
是非お誘い合わせてお出かけ下さい!(〜4/1sun)
一年ちょっと前、南房総の一軒の名店が25年の歴史に幕を閉じた。
その店「セントシュバイン」は、田園を見下ろす高台にあって手作りドイツソーセージ&ハムが絶品のヨーロッパの田舎にあるようなラスティックな雰囲気漂うレストランだった。
オーナーのM氏とは歳も近く、店を始めたのも同時期だったので私も色々刺激をもらっていた。
店を閉めてから何をしているのかと思っていたら「新しい店が出来上がったので一杯やろう」というお誘いがあった。なんでも実家の一部を改装して一人で切り盛りするバールを作ったのだという。
当日、千倉の波乗り仲間でその店に足を踏み入れるとM氏は秘蔵の泡を用意してくれていた。1985年のドン・ペリニヨンだった。この男、やはり只者ではなかった。
黄金色に輝く液体は生きていた。そして美味すぎた。今でもあの味の余韻が口内に残っている程だ。
ひとしきり幸せな時間を過ごしていると着物姿になったM氏が裏の茶室に来てくれという。侘びた露地を行くと見事な茶室が。にじり口から中に入ると静寂な中に茶釜のシュンシュンという音が飲んで高揚した気分を鎮めてくれる。
M氏は一人ずつ違う茶碗で茶を立ててくれる。
飲んだあとの抹茶の美味しいこと!
この一連のもてなしの気持こそ「お茶」の精神なのだろうが、なかなかここまで出来るものでは無い。
粋でチャーミングなM氏は、これからの人生をバールの親父とお茶の師匠(裏千家)の二足のわらじで過ごすらしい。
波乗りするお茶の師匠ってカッコイイですよね!
ここだけの話ですが、1月23日にもう一つメモリアルな出来事が加わったんです。
実は、店を手伝っている次女が入籍したんです。
そして6月には私にとって二人目の孫が生まれます。
もう去年ケープコッドから帰ってからはバタバタでした。
突然といえば突然のオメデタ婚ですが、親心としては娘にただ幸せな結婚を願うだけ。
知人の女性が二人に良いアドバイスをくれました「お互いを思いやる気持ちさえあれば大丈夫よ!」と・・
1.23・・奇しくも私の誕生日、義母の命日そして娘の結婚記念日が重なり合った。
1月23日、私は61歳になった。
思えばこの一年は私にとって「黄金の60代」のスタートに相応しい一年であった。
そして今日は板橋の義母の命日でもある。
親戚の方々にも来て頂き菩提寺で一周忌の法事を行った。
私の還暦の誕生日に義母が急逝してから一年が過ぎた。
地味で温厚な義母に私の3人の娘たちは随分とお世話になった。
草花を世話するのが好きで庭にいつも色んな花が咲いていたのが思い出される。
私は法事の後で感謝の意味を込めて仏壇に伽羅の線香をあげた。
親父が亡くなってから早5年ほどになる。
定年後に油絵を始めた親父は、いつも南房総の風景を描いていた。
漁港や灯台、花畑など。
年末に線香をあげに実家に行った時に見慣れぬ絵があった。
その絵は典型的な南房総の風景という訳では無く、どこかの海と空のようだった。
太筆でざっくりとしたタッチが親父らしい。
空の光がちょっと印象派の絵のようだった。
今まで親父の絵をあまり飾ろうとしなかった私だが「この絵もらうよ」と言ったら、お袋が「あら珍しい!」と驚いた。
南半球にサーフトリップした夢を見た・・
そこバイロンベイは4年ぶりだったが、波も宿も極上で天国にいるような夢旅なり。
なんか現実と夢の区別がつかなくなってきた!?
お正月から富士山を眺めながらの初波乗り、そして家路に向かう夕暮れの空に見たのはスーパームーン・・
とても幸先の良い年の初めとなった2018年ですが、「アナログモノローグ」本年も宜しくお付き合い下さい。
さて、今月には61歳となる私ですが、今は亡きカントリージェントルマンT氏が過ごしたという「黄金の60代」を目指し、本年も気を引き締め、日々を大切に生きて行きたいと考えております。(2016年7月15日のブログ参照)
どうかよろしくお願い致します。
最近、我が家のダイニングテーブルが変わりました。
150✕90cmのオールドパインのこのテーブル、ある方から頂いてしまいました。
部屋の雰囲気もガラッと変わりました。毎日が新鮮な気分です。
昔、サザビーのオールドパインのダイニングテーブルに憧れていた頃がありましたが、パイン材の柔らかな質感が何とも言えません。
私は自分の未来に向けてきちんと計画を立てて生きるタイプではなく、その時々にやりたいと思った気持ちを尊重して生きてきた。
60歳を過ぎ「逝き方」を意識する年代となってもそれはあまり変わらない気がします。
少し前、飛行機の中で読もうと思い坂本龍一氏が表紙の雑誌「AERA」を何となく買いました。特集は「不安にならない逝き方」でした。
その中で芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久氏の寄稿が胸に残りました。
現代に生きる人は先の事を決め過ぎである。細々と計画を立てわからない未来までも想定内に収めようとする傾向にある。地域や家族の感覚が薄れ「死」が個人化してきている。わからないまま進むことも豊かな生き方であろう。など・・
子だくさんで、近所にお墓がある私は特に終活はしないと思うが、先日も親しい友とどちらかが先に逝ってしまったら友人代表として弔辞を述べようという話を酒を飲みながらしたばかりだ・・