森暮らしの達人

海辺に長く暮らしている為か、森の暮らしというものに憧憬がある。

その森暮らしの達人、田淵義雄さんが亡くなったと知り「森暮らしの家」(小学館)を読み返してみた。

 

私がタブチさんに魅かれたのはタブチさんがストイック志向でなくヘドニスト(快楽主義者)だから。

そしてアメリカ東海岸のニューイングランド辺りの暮らしを想起させるから。

バーモントとかメイン州辺りの・・

この本は、八ヶ岳にほど近い金峰山の山麓に創ったタブチさんのアルカディアを網羅している。家もニューイングランドスタイル。

標高1500Mの土地だから冬は極寒となる。寒い家が嫌いなヘドニストは薪ストーブやキッチンストーブのスペシャリストとなり専門書を翻訳している。

ヘンリー・D・ソロー著「森の生活」はタブチさんのバイブルであったが、タブチさんの本も日本の多くのアウトドア好き・自給自足志向の人達のバイブルになった。写真はソローが2年3ヶ月暮らしたキャビン。
独学で家具作りを習得したタブチさん。試作と思索を繰り返したに違い無い。

この本に書いている「いつも思うんですけど物作りや労働の現場は快適で居心地がいいものであるべきです。人にとっての労働とは何なのか?新しい労働論の哲学が今、必要だ」と。全く同感です。

エコロジスト・作家・家具職人・フライフィッシャーなど多才だった森の哲学者。

タブチさんが好きだった詩が載っている。15世紀のイタリアの詩人のものだ。

 

この世の暗さは影にすぎない。

その影のむこうがわ

まだ手が届くところには

歓びがある

その歓びをつかめ

 

人生で大切なこと、それは自分の歓びを自分でつかむこと。と教えてくれたタブチさん。

また一人、本物の人が旅立ってしまった。

ご冥福をお祈りします。

パソコン新調

12年振りに新しいiMacにしました。

やけに薄くて軽くなっていてビックリ。厚さ11.5mmですって!

音質もなかなかイイし、カラーも色々あって迷ったんですがブルーにしました。

キビキビした動きだけじゃなく、感覚的にMacは使っていて気持ちイイんですよね!

パソコンにあまり精通していない私は、データを新しいパソコンに移すのを「移行アシスタント(Wi-Fi経由)」に任せたら48時間もかかりました。笑 でも古いソフトのMacからでも何とか出来ましたよ!

接続コードとか後付けHDとか使えば早かったんでしょうね(ウンウン)持ってないし。

11,5mmと極薄&エッジが効いたシャープな仕上がりになってます。

今まではパソコンでDVDも観れたし、音楽CDをプレイリストから焼いたり出来ましたが、このiMacには内蔵されていません。

もう、そうゆう時代じゃ無いってことなんですかね・・・

でも今までは古いパソコンで苦労していましたが、これからはNewMacでブログをマメに綴っていけるのが嬉しいですね。どうかよろしくお付き合い下さい。

レザーリペア

リビングでいつも座るビンテージのフレンチ・クラブチェア。

小さな傷だったのを孫のユー君にビリビリに引き裂かれました・・

何回か裏側から貼って誤魔化して来ましたがチョッと無理そうな感じになって来ました。

全体的にユーズド感たっぷりなので修理に出すんじゃなくて、大きな革を買って来て自分で直すしかないなと・・

革の色が濃かったけどボンドで貼り付けたら何とか補修出来ました。

これでもう少し使っていけます。

あと、長年使っているラルフローレンのトートバッグ。

持ち手の革が割れて縫い糸もほつれてしまいましたが、これも革を巻いて修理。

前より持った感じが手に優しく馴染んで持ち易くなりました。

革製品て味が出てくるし愛着があって出来るだけ修理しながら長く使い倒したいですから。

レザークラフトを勉強して縫ったり出来れば修理だけじゃなくて革製品を作れて楽しいでしょうね!

老後の楽しみに習おうかな?

宮崎サーフトリップ(2)

シニアロングボーダー夫婦のサーフトリップはサーフィン半分、観光半分である。

道の駅に寄って地元の野菜や果物をチェックしたり、定番のソフトクリームを食べたり、カフェに寄ったり。今回は「明日葉ソフト」を食べました。

青島では神社の鳥居の前にうねりが入りサーファーがレフトの波に乗っていた。島全体がトロピカルな植生の中の神社はパワースポットです。

大堂津にあるここは滅多に波が立たないらしいが、島の脇から浅瀬が続きロングライドが出来る。バイロンベイのザ・パスに似た雰囲気。ここで2日入った。偶然、千倉に縁があるサーファーとも出会った。
串間のここは腹くらいの波だったが、時々胸〜肩くらいのセットが来た。タイミング良くそのセットで何本か良いライディングが出来た。

幸島を見下ろす高台にCAFE10はあった。しかし閉店されており会いたかったカンマ君は居なかった。

カンマ君は、10年前に南房総から串間に移住したフリーサーファーでせっかく会いに来たのだったが・・

幸島を見下ろす絶景にCAFE10は建っていた。しかし閉店してかなり時間が経っている様な雰囲氣でガッカリ・・

そのまま恋ケ浦に行ってサーフィンを終え、田舎道を走っていると道の脇の原っぱに大きなキャンピングカーが止まっていた。なんとそこにはカンマ君が立っていた。

小さな奇跡!カンマ君はキャンピングカーで日本を回ったらその車でヨーロッパに行くと言う。ポルトガルに住むかも、と言っていた。彼なら何処でも暮らせそうな融通無碍なノマド!

今回、宮崎エリアは波が大きく日南方面まで毎日ドライブしたが何とかロングボーディングに向いたポイントで波に乗れたし、色んな方との出会いもあり面白いトリップだった。

60代半ばで未だ波と戯れていれる自分は幸せだと思う。感謝!

宮崎サーフトリップ(1)

いつもサーフトリップの行き先は、カミさんから私にプレゼン(通達)してきます(笑)。

そして、行き先が決ると私(執事)がエアチケット・ホテル予約・レンタカーの手配をします。

今年の目的地は九州・宮崎です。

南国宮崎のシンボル、ヤシの木やフェニックスがドライブ気分を上げてくれます。
宮崎エリアのビーチは波が大きすぎたので、毎日日南エリアまでドライブしてロングボード向きの波を探した。

早速JAL、宿のシーガイアに予約を入れ、さてレンタカーを何処にするか?

ネットで検索していると「マハロレンタカー」さんを発見。

サーフトリップに必要なポリタンク、ハンガー、バケツなどフル装備に加え、その日の最適な波情報やグルメスポットまで提供してくれるというホスピタリティ溢れるレンタカー屋さんです。

レンタルのロングボードが充実しているのはオーナーの森さんが宮崎のレジェンド・ロングボーダーだから。

今回はウェットスーツのみ持参と身軽なトリップとなりました。空港で車もボードも一括で受け渡しが出来るととてもラクですね。
67歳の森さんはフランスやハワイにも住んでいた事がある宮崎のレジェンドサーファー。その情報は信頼できます!途中でのボード交換にも迅速に対応していただきました。
今回はシーガイアのシェラトンに3泊しました。アトリウムも南国氣分溢れています。

ブリキのバスケット

趣味が高じて開いている小さなアンティークと古道具のお店「DAYS GALLERY」。

地味なお店ですが高齢のオフクロが店番をしてくれる限り続けようとは思っています。

 

そのDAYS GALLERY で「長年売れ残っていた物を自分で使うシリーズ」第二回はブリキのバスケット。

前回ご紹介したイギリスの日除けテントは私の車に取り付けて使っていますが、このアメリカ製のブリキのバスケットもずいぶん長い間店の片隅でホコリを被っておりました。

デリボーイに取り付けた色褪せ感が気に入っているイギリスの日除けテント。2021年6月4日のブログ参照。
ブリキに籐のバスケットのプリントをしたフェイク(ハンドルは木製)なのですが、かえってブリキ製の方が私のキャンプスタイルにマッチする気がして使うことに。
ホーローの食器類、コーヒーポットなどを収納。人気のアルミ製コンテナとかスタイリッシュなタイプは、ゆるレトロな私のデリボーイにはカッコ良すぎて似合いません(笑)。

子供たちが小さかった頃に時々キャンプをしていたのですが30年の時を経て食パンを焼くグリルパンやオピネルのナイフなど、その当時の思い出があるギアをこのブリキのバスケットに詰め込みました。

でも、その頃使っていたコールマンのランタンやらバーナーは未だ押し入れの中から見つからないでいる。

千葉北プチトリップ

オリンピックのサーフィン会場となった一宮町より北の九十九里浜・銚子方面に初めて波乗りに行きました。

一日目は強い南西風だったので茨木側の「波崎」で東京の佐藤さん夫妻と合流。

ここは南西風がオフショアとなり遠浅でショルダーの長いロングボーダー向きの良い波でした。

その夜は、私達は旭の「かんぽの宿」に宿泊。

二日目は平砂浦&千倉での波乗り仲間と銚子マリーナで待ち合わせをして屏風ヶ浦の通称「崖下」に入りました。マリーナから20分ほど歩きポイントに着くと屏風ヶ浦の壮観な岩壁の下がサーフポイントでした。

風は北東に変わりここでもオフショアのキレイにシェイプされた波でサーフィン。ロングボーダーが殆どで、のんびりした雰囲気が漂っていました。

ラッキーにも初めての場所で二日間とも良い波に恵まれたトリップとなりました。

この時期なら水温も南房総と変わらず暖かく、波も含め来てみてこっちの印象が変わりましたね。

銚子の帰りに大網白里にある坂口憲二さんのThe RisingSun Coffeeに寄りました。すごい人気で外にも人が並んでいましたが店長さんの接客が見事で感心させられました。隣のサーフブティック「BONS」さんもセンスのイイお店でした。
サーファーでもある坂口さんの焙煎した珈琲豆で私が選んだのは「WIPE OUT」というやや深煎りの豆。雑味がなく適度な苦味とコクがある旨いコーヒーでした。

寛ぎの時間

パソコンが古くなり調子が悪いのと孫が私の書斎に乱入してくる為でブログを書くタイミングを逃している今日このごろ。

すっかり秋めいて何をやるにも良い季節になりましたね。

色々制限がある中でどこにサーフトリップに出かけようか(国内ですが)、どこにCAMPしに行こうかとか休日に寛ぎながら空想したり思いを巡らせて居る時間が至福です。

 

好きなレコードを聴き、珈琲を飲み、シガーをくゆらせる・・

 

このボーっと過ごす時間の中で色んなインスピレーションが湧いてくる事が多いから。

ルーティンを忘れてホントにリラックス出来る時間を持つって必要なんですね。

JAZZで一番ターンテーブルに乗るのはやっぱりB・エバンスかな。
前ほど吸わなくなりましたが私にとっての必要毒であり究極の寛ぎアイテム。

ラリマーのリング

カミさんのお父さんの形見の指輪がリメイクされて戻ってきました。(2021年4月13日のブログ参照}

そのプラチナの印鑑型指輪のリメイクをお願いしたのは館山にある「富銀」の出口さん。

私と同じロングボーダーで彫金師になる前は自動車のデザイナーという経歴の出口さん。

「小原」の印鑑指輪でしたが箪笥にしまっておきたく無かったのでリメイクしてもらいました。

私が希望したのは「アール・デコ」っぽく。

カリブ海原産の「ラリマー」という石を使ってもらい、石の左右には「SAND」と「CAFE」が刻まれていた。

仕事の時はグラスに指輪が当たるので外していますが、出かける時やキューバのシガーを吸う時にはめると気分が上がりますね。カリブのマルティニーク島のラム「トロワ・リビエール」を飲みながら・・

ありがとう出口さん。また一緒に波に乗りましょう。

ガラス壜の中の夏

カミさんの実家の倉庫に大きな古いガラス壜があった。

ポッテリ厚めで気泡が入っていて味のあるガラス壜だ。

最初はメダカを入れようと思っていたが、何故か写真集を入れてみたくなった。

好きな植田正治(1913~2000)の写真集。

ぴったりハマった!

植田正治は、生涯故郷の鳥取で作品を撮り続けた写真家。

中でも砂丘シリーズは今でもモダンで傑作だと思う。

見るたびに癒やされる。

私生活もアフガンハウンドを飼ったりイタリアの服が好きだったりと垢抜けていたと云う。

地方に暮らしていても心はコスモポリタンだったんですね。

私の指標の様な人です。

 

「絶対演出」手法の砂丘シリースの好きな写真。

皮肉にもコロナ禍の2021年夏はガラス壜の中に居る様な夏だった・・

奇縁な画集

一年ほど前だったか、ある新聞記事が目に止まった。

それは中国・北宋時代の名画中の名画、李公麟の「五馬図」が80年振りに世に現れたとの事だった。

清朝末期の混乱で日本に持ち込まれたその名画は昭和天皇の即位記念で展示されてから忽然と姿を消してしまっていたらしい。

その間、色々な憶測が飛び交っていたというが今回あるコレクターが東京国立博物館に寄贈したとの記事だった。

新聞に載っていた細い線で描かれた馬の絵が妙に私の興味をソソりいつか見てみたいと思っていた・・

 

今年、家族で千倉に移住された出版社を営む羽鳥さん(2018年8月22日のブログ参照)とカフェで何気ない会話を交わしていると中国の馬の絵の画集を出版していると云う。

もしやと思い詳しく聞いて驚いた。

羽鳥書店から李公麟「五馬図」(原寸大)を出版していたのだった・・

名馬を皇帝に献上するため大陸の西方から引かれて来たのだろう事が人物の顔から計られる。
清朝皇帝など多くの落款が愛でられ宝として受け継がれてきた証となる。しかし80年もの間いったいどこの誰が所有していたのか?大変良い保存状態だったというが、ドラマチックな経緯も興味深い絵だ。
その大判の画集は今、私の書斎のM・デュシャンのポートレートの下に飾られている。ブックデザインも原研哉とこだわるのが羽鳥書店。

人生、奇縁や奇遇があるから面白い。

ミューズ

白血病を克服し再びプールサイドに貴方は立っていた。

筋肉が落ち細くなってしまった貴方の姿を見て誰もが東京オリンピックは無理だと感じたに違いない。

だが貴方は奇跡的に舞台に戻ってきた。

その姿が私にはミューズに見えた。

 

「困難を乗り越えるには希望が必要」と貴方は控えめに語った。

オリンピックで泳ぎたいという希望を持ち続け大病を克服したように、アスリート達のひたむきでイノセントな姿を見て再び私達はコロナ禍の向こうに歩いて行こうとする力をもらうのだった。

ありがとうアスリート達、そして東京オリンピック。

SURF&CAMP

最近、自宅から車で一時間程のところにSURF&CAMPに時々行きます。

キャンプと言っても車が車中泊仕様になっているのでタープを張って椅子とテーブルを出せば良い気楽な感じです。

 

星野リゾート代表の方も何かのインタビューで「コロナ時代における新たな旅のスタイルは、マイクロツーリズムと言って居住地から車で1〜2時間で行ける範囲にある観光地を個人や家族で自家用車やバイク・自転車、徒歩で訪れる小さな旅のスタイルになる」と言っていますが、昨今のキャンプブームなども正にマイクロツーリズム現象ですね。

 

私のキャンプの楽しみは焚き火をしながら飲むお酒、朝の清々しい空気の中で淹れる珈琲、そんな時に味わうシガーに尽きると言っても過言ではありません。歳を取ると旅館で上げ膳据え膳が良くなって来るのですが、これはまた別物な感じです。

キャンプのお酒はアイラ島のシングルモルト。初夏はハイボールで。薪割りに使うナタは先輩からもらったハンドメイド。
焚き火が落ち着いて来たら肉やエビ、野菜なんかを串で炙っていただきます。
エアマットの上に冷感カバーを掛けると快適に寝れます。

夏休みは混みそうなので次回のサーフ&キャンプは秋口かな?

そしていつか孫達とキャンプに行けたらサイコーですね!

でも何か楽しい事を持っているとか、考えていないとやってられない時代なのかもしれません・・

追悼・小林亜星さん

千倉の山の上に亜星さんの大きな別荘があって奥様とよくカフェに寄って頂いていた。

カフェが出来た頃からなので随分長いこと贔屓にして頂いたことになる。

ほんと、寂しい限り・・

一度別荘にお招き頂きカミさんとランチをご馳走になった。マリンデザインで統一された別荘は眼下に太平洋が広がり白いピアノと蓄音機が音楽家の家を象徴していた。

いつだったか、私が今の世の窮屈さを亜星さんにこぼした事があった。

先生は「同好の士と楽しくやるだけですよ、ワッハッハ」と一蹴された。

この言葉は今の私の座右の銘になっている。

 

亜星さんの人柄を表すエピソードがひとつあって、千倉の居酒屋で隣にいたオジサンに「千倉の歌を作ってくれませんか?」と頼まれたら何と作詞・作曲おまけに歌までレコーディングしてCDを作ってしまった。

キッチリ作品として作り上げてもらい、千倉町民としてこんなありがたい事は無かった。

千倉が好きだったのですね! CDを沢山録音して自ら配って頂いたのだった。町ももっと有効に使うべきでしょう!
先生から頂いたCD。耳憶えのあるCMソングはほとんど亜星さんの作った物だったと再確認。名CM曲ばかり!

でもワッハッハと笑う先生はもうカフェのカウンターに座る事は無い・・

ヘア・マイスター

南房総の片隅でカフェを営み27年ちょっと、色々な方とご縁が出来た事に感謝する日々。

 

ホマレさんが先月新しいヘアサロンをオープンさせた。

その名も「Atelier HOMARE

さいたま市大宮区の氷川神社参道(日本一長い参道)沿いにあるお店にお邪魔して来ました。

 

パリ時代は「ジャック・モアザン」で研鑽を積み、あのジェーン・バーキンの髪もカットしていたと云う。

その後、さいたま市与野で2店舗を構え約20人のスタッフを抱えていたが、すべてを譲り一人の美容家として新たなスタートを切ったホマレさん。

キャリア40年近いのにも関わらず、一人の船出を決めた自由さに私はシビレる。

ホマレさんの美意識が結実したサロン「Atelier HOMARE」(2F)  参道のケヤキ並木が清々しい気と風を運んでくれる癒しの空間。
アンティークの家具や什器が見事に配置されていてゆったり寛げる。床や壁のテクスチャーにも手抜きは無い。
窓から見える青空を眺めながらシャンプー&頭皮マッサージをしてもらっていたらその神テクで浮遊感覚を体験しました。これぞラグジュアリー。
私のようなジジイがとも思ったがやっぱり来て良かった。サンドカフェに来店した時にも私の頭の形や髪質をチェックしていたと聞いた。

そして、ホマレさんの流れるような一挙一動が心地よく感じられた時間はいつの間にか過ぎていった。

マイスターの仕事ってそうなんですね!

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