オペラには特別興味がないので、今まで「マリア・カラス」を意識的に聴こうとした事がありませんでした。
ただ絶世の美女にして世紀のソプラノと云われたカラスのレコードがたまたまアマゾンで目に入りレコードなら聴いて見ようと思った訳です。
カラスはギリシャ系アメリカ人。どうりでレコードを聴いているとエーゲ海を思い浮かべたりしていました。行ったこと無いですけど・・笑
聴く音楽には全く境界の無い私。しばし濁世のザワザワ感を忘れて自分好みのゆったりした曲を歌う伝説のミューズに癒やされてます。
オペラには特別興味がないので、今まで「マリア・カラス」を意識的に聴こうとした事がありませんでした。
ただ絶世の美女にして世紀のソプラノと云われたカラスのレコードがたまたまアマゾンで目に入りレコードなら聴いて見ようと思った訳です。
カラスはギリシャ系アメリカ人。どうりでレコードを聴いているとエーゲ海を思い浮かべたりしていました。行ったこと無いですけど・・笑
聴く音楽には全く境界の無い私。しばし濁世のザワザワ感を忘れて自分好みのゆったりした曲を歌う伝説のミューズに癒やされてます。
ソール・ライター(Saul Leiter)という写真家を知ったのは数カ月前の事。
NHKの「日曜美術館」や新聞などでその写真を見てすぐに興味が湧いたのだった。
(新たなアートやアーティストに巡り会いたいとはいつも思っているが・・)
「帽子」と題された写真。
雪の中、一人の男が店の前のテントの下で帽子に手をやっているのをショーウィンドウの内側から写している。無数の水滴が凍っているのか型ガラス模様に見える。ウィンドウに描かれた剥げかけた文字がより写真を印象的にしている。
ソール・ライターの一連の写真を見ていると狙って撮っている感じがしない。
あらかじめ何かを計算してそこに居た訳では無さそうだ。
たまたまそこに居合わせてシャッターを押したという何気ない感じに私はシビレる。
ソール・ライターのように「何気ない日常にこそ美が宿る」というモチベーションこそ、これからの私の規範に出来たらと思う。
最近の私の波乗り事情。
波の取り合いをしなくて済むよう、なるべく空いているポイントを探します。
60代半ばに差しかかり、体力的にも海に入っている時間がどんどん短くなってきました。
その中で自分にとって「今日の一本」という波に巡り会えたなら極満足。
いい波なんてキリが無いですから・・
波乗りばかりじゃなく、歳と共に色々な事に多くを望まなくなってきたんです。
何事も「ほどの良さ」が自分にとっての至上境。
これ幸せのミニマリストとも言う(笑)
ロングボードを積んでどこに入ろうかウロウロするのもサーフィンだし。
帰りの道すがら好きな曲をカーステで聞きながらマッタリするのもサーフィン。
波に乗るばっかりじゃ無くてもっと包括的な世界に遊びたい。
たまに空いてる海で良き波に遭遇出来たなら枯れサーファー冥利に尽きる。
今日みたいに!
台風の余波は五日間続いたが一日だけでも遭遇出来たことに感謝。