2019年、人生で最速に感じた一年でした。
次々と台風が襲来、オフクロの骨折、娘の出戻りと波乱の2019年でしたが、サンドカフェが25周年を迎え、3人目の孫が生まれ、憧れのマリブの波に乗れたりと良いことにも恵まれた私の2019年でした。
皆様は振り返ってどんな年だったでしょうか?
2019年、人生で最速に感じた一年でした。
次々と台風が襲来、オフクロの骨折、娘の出戻りと波乱の2019年でしたが、サンドカフェが25周年を迎え、3人目の孫が生まれ、憧れのマリブの波に乗れたりと良いことにも恵まれた私の2019年でした。
皆様は振り返ってどんな年だったでしょうか?
知り合いの不動産屋さんから一枚のレコードをもらった。
「SURF BREAK FROM JAMAICA」
懐かしいタイトルのレコードは、私が70年代後半に持っていた浅井慎平さんが作った波の音のレコードだった。
だがジャケットが違う。確か私の持っていたものは砂浜に置かれた小さなヨットだったはず・・
裏にはJANTZEN RECORDSと記されていた。それは洋服メーカーのジャンセン(小杉産業)で、きっと販促用にプレスされたレコードだとピンときた。
家に帰りさっそくレコードに針をおろすと部屋に懐かしい波の音が響いた。
日頃、波乗りで波の音はいつも聴いているはずなのにジャマイカのモンテゴベイで録音された波の音は70年代の乾いた音だった。
「長年通った千倉のセカンドハウスを引き払った男性が何枚か置いていったレコードなの!」と不動産屋さんは私に話した。
きっとジャンセンの関係者の方だと思うが、置き土産の「波の音」が私に巡ってきたのだった・・
マリブでの2泊目からはバケーションレンタルのドリームハウスで過ごした。
ここをベースに毎日サーフィンをし、行きたかった所にショート・トリップしたり。
ロングボーダーになってから、いつかマリブの波に乗りたいと思っていたが今回その夢が叶った。
しかもハミングバードに間近で遭遇したり、イームズのケーススタディハウスを尋ねられたり、カッコイイジジイ達に遭ったりと念願成就のカリフォルニア夢旅でした。
マリブでのサーフィンだが、初日の朝一で形の良いセットがたまたま私の所にやって来ていきなり今年のベストライディングをしてしまった。
テイクオフすると壁がどんどん張って来るマリブ特有のロングショルダー波。
その朝は人が少なく何本か良い波を乗ることが出来たので、満足感でその後の3日間は燃え尽き症候群状態だったかも 笑
金曜日の午後くらいからビーチに少しずつ人が増えてきて、土曜日は11月だというのにビーチで過ごす人々で賑わっていた(以外だが日曜はそれほどでも無かった)。その辺が海で遊ぶのが夏だけの日本とビーチカルチャーが違っていて、毎日車で同じ場所に陣取っているビーチバムなんかも多い。
マリブで海に浮かんでいると色んな人が話しかけてくる。裸でサーフィンするサムライ映画の好きなワイルドマン、地元のカレッジに通うアジア系女子、サンセットがきれいだろ!名前は?って聞いてくるオジサンとか、どこか余裕がある感じがこの海には漂っている。
ベンチュラの波が少しずつサイズアップしてきたので「Cストリート」で初サーフィン。
思ったより水温は冷たく無くノーブーツでもOK。
波乗りの後は近くの町にドライブしてノンビリ散策します。今日は内陸に少し入ったOjai(オーハイ)と言う町に。
ビーガンのレストランやコーヒーショップ、ギャラリーなどが点在し、小じんまリと落ち着いたカワイイ町です。
マリブに向かう途中、道路から見えた波が気になり降りて行くと大きな岩の脇からレギュラーの波がきれいに崩していたので入る事に。
60代の二組の夫婦がロングボードを担いでロサンゼルスの空港(LAX)に到着した。
どデカイ空港を感を頼りに移動し、何とかハーツレンタカーのシャトルバスに乗り込む事が出来た。
昨年のサンディエゴと同じ車種のシボレー・サバーバンにロングボード4枚とスーツケース4個を積んでカリフォルニアの海岸線(PCH)を1時間半ほど走りベンチュラへ。
ベンチュラの宿はビーチの真ん前に建つ「Crowne Plaza Ventura Beach」ここに3泊。
ベンチュラは波が無かったので我々はサンタバーバラまでドライブに出かけた。
澄み切った青空、眩しい太陽、気分爽快とはこの事。まさにアメリカの「ベンチュラハイウェイ」の世界。
11月4日(月)から13日(水)は誠に勝手ながらお休みさせて頂きます。
今年は本当にいろんな事が起こってちょっと疲れました。
なので、秋休みを頂きリフレッシュしに行ってきます。
場所は再びカリフォルニア、ヴェンチュラからマリブ方面へのサーフトリップです。
ちょうど1年前、山火事でマリブでのサーフィンの夢が泡と消えた事が思い出されます。(2018.11.22〜12.5のブログ参照)
しかし、今年もカリフォルニアのあちこちで山火事が多発していると耳にしました。
最近ロス近郊でも山火事が発生し前州知事アーノルド・シュワルツネッガーも避難したそう!
この時期カリフォルニアではもの凄く乾燥した強風が吹くんですよね。
果たして昨年のリベンジが出来るのか、あるいは返り討ちとなってしまうのか乞うご期待。
板橋のカミさんの実家に一ヶ月に一度は行きます。
もう30年以上通っているでしょうか。
私の第二の故郷みたいな感じです。
先日、カミさんの兄貴から聞いたんですが台風の時に庭にあるお稲荷さんの朱色の鳥居が強風でポッキリ折れてしまったそう。
その翌日、池で飼っていた鯉やメダカなどが全部死んでしまったと言うんです。
鯉は長年飼っていて結構大きくなってたんですがそんな事ってあるんですかね・・
カミさんと次女が木更津のアウトレットに行きたいと言うので気乗りしなかったが渋々付き合った。
アウトレットとか広くて疲れるし、最近はファッションにもこだわりが無くなったから(ウソです)。
ただ歳をとるに従い物欲が無くなって来たのは確かで、二人に付き合っていろんな店を何となく廻っていたらビームスで二人が「このスニーカーどお?」と私に聞いてきた。
見ればVANSのスウェードで中はボアになっている。「これからの季節にいいかも」と言ったら何とカミさんが買ってくれました!
次のユナイテッドアローズではストレッチ素材のカーゴパンツを見つけた。最近は楽ちんなのでジーンズもストレッチ素材をよく履いている。
スニーカーもカーゴパンツも五千円台と納得のプライスでした。帰りの車の中で「次のサーフトリップはこの格好で行こうかな」と言ったら、次女に「やっぱ来て良かったでしょ!」と返された。
アウトレットではないんですが、私的にオススメな楽ちんスタイルが無印良品のベルト。
無段階で調節出来て軽いのでとても使いやすくベージュとカーキの二本を愛用しています。
このブログを時々覗きに来てくれる方ならお判りと思うが、私には男の子の孫が二人いてヒナタくん(
もうすぐ6歳)とユウくん(1歳)である。(それぞれ長女と次女の子供)
この夏めでたくヒナタくんに弟が出来た。
8月に生まれたエイトくんだ(笑)。
このエイトくん、実にマッタリと穏やかな性格。
滅多に泣かないし、周りが騒がしくてもいつもスヤスヤ寝ている。
これで孫は男の子3人となった。
私の父と母は孫が10人いて9人が女の子だったからその逆を行くんじゃないだろうか?
まさかね?!
今回のような台風による災害に遭うと、いかに「平凡な日常こそが幸せ」なのか改めて再認識させられる。
私にとってこうして店のカウンターに立ち、いつもの様に仕事が出来る事こそそれに値する。
お陰様でポツポツとではあるけれど再びお客様に来て頂けるようになりつつある。
そして、早く被災された方々が日常に戻れる様祈るばかりだ。
最近、我が家に住み込みで子連れの家政婦さんがやって来ました。
この家政婦さん、私に玄米弁当を作ってくれたり髪を切ってくれたりと気が利くのですが、私より先に風呂に入ったり冷蔵庫のアイスを食べたりと結構大胆です(笑)。
おまけに一歳の男の子は私の部屋に侵入しては荒らしていきます。でもカワイイので余り文句も言えません。
そう言えば以前、イタリアの親父は娘がどんな状況にあっても優しく受け入れるって聞いたことがあります。
そして私もそうありたいって心底思っているのです・・
今年ほど色んな事が起こる年も無いだろう。
でもやり直すなら早いほうがイイって気持ちを切り替えたんだ。
数キロ離れた所まで自転車で行ってしまう健脚を誇っていたオフクロが骨折した。
自転車ではなく庭で転んで大腿骨を折ってしまったのだ。
救急車で病院に向かう時、上の方から「おまえの出番だ!」と聞こえた気がした。
手術をしてくれた先生が「自転車に乗っていただけあって、88歳にしては骨が硬く筋肉もありますね」と言って下さりチョット安堵。
この1ヶ月の間、病院に通ったり市役所に介護の申請に行ったりと慌ただしく過ごしていた。
今、オフクロは退院し自宅で介護ベッド、トイレの手すり、歩行器などを使いながら少しずつ日常生活を再開しつつあるが気は許せない。
幸い町内に妹、車で30分の所に姉が住んでいるので手を借りながら見守り始めた。
どうも今年は、次から次へと色んな事が起きて慌しい年である。
良いこともあれば悪いこともある。
それが人生・・
そんな中で楽しみなのが孫の成長。
長女のところのヒナタくんは来春一年生。
久しぶりに酒々井の家を訪れるとピカピカの黒いランドセルを私達に見せてくれました。
一方、次女のところのユウくんは1歳を過ぎ、よちよち歩く様になりました。
私の手を引っ張っては家の中を歩き回ります。
キッチンの流しで小さいタライの風呂に入る姿が何とも可愛らしいんです(笑)
今年は色んな事が起きてブログをなかなか更新できませんが、たまにはのぞいて下さい。
岸恵子さんの著書「孤独という道づれ」が産経新聞のインタビュー記事で紹介されていた。
若くして渡仏、映画監督と結婚し長くフランスに暮らした大女優も86歳ですと、信じられない若さです。
その秘訣は旺盛な好奇心でした。
「人生にはたびたび偶然や非日常が訪れる。ひどい道を歩かなければならなくなることもあるけれど、私はとにかく乗っかっちゃうんです」
「私、人にすごく気を使うんです。だから一人になるとほっとするし、いろんな意欲が湧く」と。
そして死生観も超然としている。
「人が死んだら家族がしばらくは顔とかを思い出してくれるんだろうけれど、そのうち吹く風に乗ってどこかに消えていくんですよ。人って忘れて行くんですよ。そして歴史はどんどんめぐる。ひとつの「生」は宇宙という遠大なものの中の小さな欠片で、その生が終わり、次の時代がくるんですから」
HOW TO的処世術ではなくWHY的人生哲学を持っている人って自分ときちんと向き合って来たんでしょうね。希林さん然り、下重暁子さんも・・孤独を味わえるとは成熟している証なのかも。
今の社会を覆っている同調圧力のようなものに迎合しない清々しさを感じます。