暑中お見舞い申し上げます。
思ったほど暑くない気がする今年の夏。
皆さん、いかがお過ごしですか。
私の近況は、
暑中お見舞い申し上げます。
思ったほど暑くない気がする今年の夏。
皆さん、いかがお過ごしですか。
私の近況は、
孫のヒナタくんも3回目の夏を迎えました。
いずれ小学生になり、長い夏休みに一人で千倉に来ることもあるでしょう。
そんな時を今から妄想しています。
セミやカブトムシの昆虫採集、海水浴や磯遊び、釣りとなればジイさんの出番。
今からシュミレーションに余念がありません(笑)。
デジタル機器には幼い時から接する機会の多い今の世の中ですが、自然を相手に遊ぶ時間も同じ位のバランスでやらせたいものです。
ある日、T氏の奥様から届いた一通の封書。
その中の手紙は生前T氏が予めしたためていたものだった。
定年後、四日目には千倉に移住。
海を見下ろす田園に居を構え、野菜を作り花を愛で、茶を嗜み、何より読書をこよなく愛したT氏。
T氏の生き方は正にカントリージェントルマンだった。
年下の私にも別け隔てなく接してくれた。
茶道の帰りには良く珈琲や甘味を召し上がりにカフェに立ち寄って頂いた。
T氏夫妻のご友人が住む鎌倉にご一緒させていただいたのは今となっては良い思い出。
黄金の60代を経て、3年ほど前からは難病に立ち向かわれていたのだが・・
亡くなってから2年過ぎても水丸さんの特集は後を絶たない。雑誌「coyote」もそうでしたね。
この「イラストレーター 安西水丸」(クレヴィス刊)はイラストのセレクションもさることながら、安西水丸百科事典のようです。少年時代を過ごした千倉の事、普段の散歩コース、好きな酒や店なども網羅しています。サンドカフェも小さく載っています。
時々フラッとお店に来てくださる岡本ゆかこさん。一緒にくるお友達がサーフィンしている間、岡本さんはいつも洋書や料理本を見ています。偶然私と大好きな本が一緒でした。右側の「おいしいサンフランシスコの本」。これを見て岡本さんはバークレーに行き、私はサンドカフェのモチベーションとしました。
今回、岡本さんがセンスの良い2冊の料理本を出しました。これからの季節アイスケーキとかイイですね!
高校生の時J.Pメルヴィルの「サムライ」を観てそのカッコ良さに衝撃を受けた。孤独を抱えたアラン・ドロンのハットとトレンチコートの姿が脳裏に焼き付いている。最近ようやくDVD化されました。
映像も音楽もクール。ドロンの部屋もイイ。
降り続いた雨が突然止み、厚い雲の間から青空が見え始めた午後遅く海に向かった。
コンパクトなビーチに着くと、久し振りの波乗りには丁度良いメローなブレイクが。
この歳になると少しのブランクでも体がちゃんと動くか不安になる。
最近は波打ち際からゆっくり時間をかけて歩いて沖に向かう。
少しずつ海に体を馴染ませていくためだ。
何せ生物の進化と逆方向に向かう訳だから。
大雨の後にしては濁りの無い綺麗な海に体が浄化されていく感じを味わう。
ラッキーな事に海には私一人。
いざ波が来てテイクオフ。
オーッ ちゃんと乗れたじゃん!
夜、誰もいない厨房でカレーを仕込みながらイヤホンで昔から好きな音楽を聴いていると、突然「俺は何故今ここに居るんだろう!」という思いに襲われる時がある。
そんな時聴く曲はたいがい若い時に好きだった永ちゃんやタツロー、サザン、ユーミン、まりや など。
私にとってのエバーグリーンは、若かりし頃を蘇らせ懐かしい想いに浸らせてくれることしばし。時には恥ずかしかった自分にも出会える。そして、その後の運命の不思議から今カレーを作っている私をも意識させる。
恩師の浅井慎平さんの言葉を借りれば過去追慕者(パセイスト)ということになるのだろうが、今ばかり見つめて生きる人には解らないだろうな・・
詩人、谷川俊太郎さんの詩集「そして」の記事が産経新聞に掲載されていたことがあった。
もう一ヶ月も前の事だが気になった言葉がいくつかあったので切り抜いて取っていたのを思い出した。
「詩は役に立たないと僕は考えています」
「過去に書いた詩が少しでも役にたっているのなら、詩人として生きてきたかいがあったと思います。でもね、自分から(この詩はどうだい)とはとても言えない」
「意識して書くと詩は面白くなくなります。だから意識下のまだ言葉になっていない混沌としたものがボコッと出てくるのを待つんです」
「マスメディアやSNSで濫用された言葉がどんどん軽くなっています。敏感な人が使いたくない言葉が増えているというのも最もです」・・言葉のインフレーションとも。
「文明はこのへんで止めて欲しい、と思いますが世界中の人々の欲望が塊となって時代を動かしているのですから、これは止めようがありません。独裁者の欲望なら止めようがあるのですが・・」
谷川さん「どうなっちゃうんだろう」と最後につぶやいた。
「葉巻を吸わなくなったんだけど誰か吸う人いるかしら?」
カウンターで一人、キツめのラムとカンパリのカクテルを飲みながらシガレットを吸っていたご婦人(2010年5月31日のブログ参照)が私に聞いてきた。
すかさず「私は好きですが・・」と返したら「家に確か30本くらいあるから送るわ」とのお言葉。
正直嬉しくなった。
何故なら自宅のヒュミドールには葉巻が僅かしか残っていなかったから。
数日後、店に大きな宅急便が届いた。
中には木箱に入ったドミニカ産の葉巻が30本どころか8箱も入っていた。
やはりあのご婦人只者じゃなさそうだ!
(大変申し訳無いのですが、定休日以外の月曜日に臨時休業させて頂く時があります。
ご迷惑をお掛け致します。)
休日は板橋のカミさんの実家に通っています。
義母が入院している大学病院にお見舞いに行くとICUから一般病棟に移っていました。
調子がイイと耳元で会話が出来ますが、話すってすごくエネルギーを使うので筆談も交えることになります。
義母は「三途の川を渡りそこねた」とか「延命治療はしなくてイイ」とか言いますが、今度は大動脈弁にステントを入れるカテーテル手術をすることになりそうです。老人にとって麻酔や手術のダメージと病状改善とのリスクバランスってすごく難しい問題だと思います。
私は病床の義母を見つめながら早く帰って自宅の庭の手入れやメダカの世話をしたいだろうな、と17階の病室で思っていた。
今年のGWは休まず営業する予定だった。
しかし板橋の義母の持病であった心臓が悪化し、私達は急遽店を休み入院している大学病院に駆けつけた。
今まで義母にはひとかたならぬ恩義を受けている。
3人の娘たちが東京の大学に進学する際、ずっと居候させてもらっていた。末の娘は就職してからも実家から通っている。
バルーン手術は成功し少し会話も出来るようになったがもうすぐ米寿の義母である、病状が急変しないとも限らない。
私達もしばらくは義母の元に通うようになるだろう。
私の母も85歳だし、親がそういう高齢になり今は報いる側に居るということだ。
坂を登り小山の頂上に着くとパーッと開けたフィールドがあった。
そこに長年サンドカフェを支えてくれた礼ちゃんのカフェ「日毎(ひごと)」は建っていた。
自分でペンキを塗ったり、収納スペースをカウンターに改造したり、飛び石を敷いたりしていると聞いていたが実際来てみれば、とても気持ち良い空間が迎えてくれた。
メニューも厳選されている。引き算され絞られたであろうメニューのひとつひとつは彼女の丁寧で細やかな気持ちがこもったものだった。
人から人へ、そっと伝えたくなるカフェが誕生した。
休日の午前、楽しみにしているのは珈琲を飲みながら書斎で吸うシガー。
基本、Jazzを聞きながら。
ボーっと何も考えずにシガーを楽しみますが
時々、何かが舞い降りて来ることもあります。
ふと、昔を回想する時も・・
シガーはリラックスした気分を増幅させてくれる私の必要毒。
今回、広島漫遊のきっかけとなったのは「ONOMICHI U2」でした。
尾道の内海に面した古い海運倉庫をリノベした大きな空間にはHOTEL、サイクルショップ、ベーカリー、レストラン、カフェ、雑貨店、スーベニールショップが同居しています。
谷尻 誠氏が設計デザインした此の「ONOMICHI U2」は2年ほど前に雑誌に紹介された時から気になっていました。そこに流れる空気感やテクスチャー、デザインコンセプトの在り方を体感したいという直感的衝動に駆られる事ってそんなに無いですから。
宮島と原爆ドームの二つの世界遺産を結ぶフェリーに乗る。
約45分のクルーズである。
小さな船内の座席の2/3くらいを外国人が占めていた。
フェリーが川を遡り遠くに原爆ドームが見えた時、近くにいた外国人が大きな声で
「 DOME !! 」と叫んだ。
瞬間、予期せぬ涙がこみ上げてきた・・
私は日本人、そして人間である。
この小さな島国ですが、まだまだ私の知らない所が色々あります。
今回は宮島と尾道をメインに広島に行ってきました。
岩国空港からバスと電車とフェリーで世界遺産の宮島に。
朱色の水上の神殿は、それは沢山の観光客で賑わっていました。
特に外国人旅行者の多さには驚きました。
日本各地で益々Youは増えるでしょうね!