十代後半から二十代にかけて日本の田舎的風土、風習、人間関係に重さや暗さ、湿気を感じそれらから逃れたいと思っていた時期があった。
その反動として軽くなりたい、乾きたいからと、サーファーになったのは必然だった。
なので当然「つげ義春」の様な漫画には接近したくなかった。
先日、ランチタイムにN氏と会話をしていた時ふと「つげ義春」を読んでみたくなった。ホント何の気なしに。そしてN氏はすぐに厚い作品集を2冊貸してくれた。
今更ながらじっくり読んだつげワールド。「ねじ式」「紅い花」「やなぎ屋主人」などシュールでどこか懐かしい心象風景や闇を感じさせる。淫靡さも。
あの頃近づきたくなかった「つげ義春」の描く世界が、実は自分の中の深く暗い井戸から汲み上げた水のようなものだったんだと知った。