松原遠く 消ゆるところ 白帆の影は浮かぶ・・・
幼少期に見た千倉海岸を彷彿とさせる手付かずの海岸線。
強いオンショアゆえか、少し潮騒に煙っている。
バイロンベイの少し南に位置するサーフポイント「ブロークンヘッズ」からの景色はまさにデジャヴのようだった。
あっという間に今年も終わろうとしているが、そんな実感が全く無い私だ。
松原遠く 消ゆるところ 白帆の影は浮かぶ・・・
幼少期に見た千倉海岸を彷彿とさせる手付かずの海岸線。
強いオンショアゆえか、少し潮騒に煙っている。
バイロンベイの少し南に位置するサーフポイント「ブロークンヘッズ」からの景色はまさにデジャヴのようだった。
あっという間に今年も終わろうとしているが、そんな実感が全く無い私だ。
ロングボーダーがオーストラリアに行くとしたら、ヌーサかバイロンベイを挙げる人が多いだろう。
なぜなら、そこには長い波があるから。そしてどちらも魅力的なリゾートである。
もともとヒッピーがコミューンを形成していた所がリゾートに変わっていくのは良くある話だが、ヒッピーにしろサーファーにしろ時代を嗅ぎとる感覚が彼等は優れている。だから時代に逆行するという行動でドロップアウトした。気持ちの良い自然がある所に。
バイロンベイはそんなゆるーいヒッピータウンの雰囲気とオーガニックな食べ物と気持ちの良いビーチとロングボーダーで賑わうオーストラリア最東端の町だった。
いつの間にやら年の瀬です。
東京の佐藤きよみさんからもクリスマスのリースが届きました。オーバルでオーソドックスなリースはサンドカフェにマッチしています。
そして今年は、佐藤さんのお友達の奥村さんのドッグカレンダーもカフェで販売しています。ニュースペーパースタイルのカレンダーは毎月ピンナップするタイプでとても洒落ています。
先週、佐藤夫妻とオーストラリアのサーフトリップに行って来ました。その様子は、またブログでお伝えします。
師走の忙しい最中ですが、一週間程お店を休ませて頂きます。
12月8日(日)~14日(土)の間、Sand CAFEとDeck Shoesをお休みいたします。
DAYS GALLERYと散歩カフェ(潮風王国)は平常どおり営業致します。
20代の頃から旅先のビーチの砂を持って帰って来るようになって久しい。リビングの棚には、思い出の砂のボトルが並んでいる。
海辺の暮らし故、たまに都会に出る際に困るのは靴である。
秋から冬は特に困る。ワークブーツでは車の運転がしずらいし、スニーカーではチョット寒い。
ではクラークスのワラビーかデザートブーツか?だが千倉でも履いているし少し色気が欲しい、となる。
先月、店に来て頂いた安西水丸さんはチノパンに黒のプレーントゥを履いていた。履き心地が良さそうな黒いクレープソールの靴は、多分レッドウィングのポストマンシューズではないかと想像できた。
数日前、東京のセレクトショップで偶然同じ靴に遭遇した。
「死ぬまで履くと思う!」(笑)と、カミさんを説得し購入。
その言葉通り、これからデニムやチノに合わせて長ーく履きこむつもり。
いわば人生最後の黒い革靴ですね!?
強風をもたらした低気圧も夜半に過ぎ去り、気持ち良い晴天の休日。
部屋を掃除し、布団を干し、孫を入浴させてから自室でゆっくり珈琲を飲む。しかし休日は時間の進行がやけに早い。
カミさんとサーフボードを車に積み家を出た時は既に2時半を回っていた。
今日は何処で波に乗ろうか?日没まで余り時間が無い。
強かった南西風も急に弱まってきた。ふと内房のロックビーチが閃いた。
3時半、ロックビーチに到着。さっきまで吹いていた南西風の影響で腹強のファンウェーブがそこに割れていた。人も案の定3~4人しか居ない。
1時間ちょっとのサンセットサーフを満喫し孫の居る家路に着いた。
そういえば孫が生まれてからしばらくシガーを吸っていなかったが、今日は気分が良かったので部屋で一服した。
久しぶりのシガーはとても美味しかった。
「周囲に流されずに独り、自分の眼や感じ方をずっと信じていたい」と、水丸さん。
その静かな大人の男のポリシーは、趣味や嗜好にも反映されている。
皆が小さなレンズの眼鏡をかけ、細身で短めのパンツを穿いていた頃から、黒縁セルのクラッシックなタイプの眼鏡に穿きこんだやや太目のチノ、上着が紺のジャケットの時は黒のプレーントゥ、デニムのカバーオールの時はワークブーツと、変わらぬスタイルも寸分ブレることは無い
今回も、サザエカレーを食べながら旅の事、葉巻や酒の事、骨董や鎌倉の事など色々お聞きした。本当はもっと沢山聞きたいことはあるのだが、残念ながらいつも時間が許さない。
変わらないという事は簡単な様で至難だ。特に今の世は。
多分もう70代になられただろうが、いつもフランクな憧れの人である。
自分で勝手に「ツイテル!ありがたい!」と思うことが良くある。
この秋、潮風王国のカフェのエスプレッソマシンと私の車(もちろん中古車)を購入した。どちらも16~17年間修理を繰り返しながら使い込み、その役割を全うしたのだった。
長年お付き合いしている業者さんにそれぞれ希望の機種・車種を伝え概算を出してもらいそのまま発注した。
しばらくして厨房器具の業者さんから「イタリアからの船便が遅れていて納品時期がだいぶ遅くなりそうです。上位機種で良ければ同じ金額で納めさせて頂きます。あと軟水器もサービス出来ますが」との連絡が。
「えーッ、確か上位機種は20~30万高いはず。イインデスカ?」
以前ブログで書いた車を買い替えた時もそうだった。
納車がやけに遅いなと思っていたら「ちょうどヒマなタイミングだったので色々サービスでやって置きました。海の近くなんで!」と。
何と下回りの錆止め、ボンネットの塗装及びボディのコーティング、ラジエーターのオーバーホールをサービスでやってくれていたのだった。ホント、申し訳ない程に。
私は交渉や駆け引きが苦手な性質なので、値切ったり何かサービスを要求したりしないのだが、何故かラッキーな事がよく起こる。
初孫が生まれてから、私の生活環境が一変しました。
色々な所に赤ちゃんグッズが置かれています。インテリアの主役は完全に赤ちゃんグッズに奪われました(笑)
ただ、仕事で疲れて帰ってきても孫の顔を見ると癒されることには間違いありません。
一週間前の10月22日、無事初孫が生まれました。
予定日より10日遅れで3900グラムと大きかった為かなりの難産でしたが長女、赤ちゃんとも無事で何よりでした。
男の子の名は「陽向(ひなた)」と言います。
もちろん事前練習の成果を遺憾なく発揮し、毎日抱っこしたり、あやしたりして楽しませてもらっていますが、私は赤ちゃんが部屋に居る気配がとても気に入っています。
あくびや手足をバタバタさせている気配、何とも言えません!
笠 智衆に憧れるほどジジイ願望のあった私は、晴れて正真正銘のジジイになれました。
いつも気にかけて頂いている大先輩から貰った一冊の本がある。
「老子」新訳。老子と言えば加島祥造さん。
以前にも加島さんの本は読んだことがあったが、この新訳の自由詩は加島さんの老子完成形だと感じる。
この本を開いている刹那、私は軽く、自由な気持ちになれる。目に見えない社会の呪縛や不安感から解放されたように。
この「老子」新訳をめくっていると「シンプルに君らしく自然体で生きればいいのだよ」と私の背中をそっと押してくれるのである。
迷えるオーバー50に。
あと数日で初孫が誕生する予定です。
ですから私は、この(仮)孫を使い日々あやす練習に余念がありません(笑)
栄養満点の母乳をもらっていると、このように手足がプクプクと張ってきますよね!
ただ、この(仮)孫が生まれたのは1950~60年代と私とタメか、もしくは年上の可能性もあります。
ちょっと複雑です。
いつもセンスの良さに感心してしまうSAYURIさんが、今年自宅の一角にセレクトショップをオープンした。
お店の名前は「kilnyard」。テーマは(小さくて上質な日々のための道具)で、SAYURIさんが選んだりオーダーしたアクセサリー、服、小物そして陶芸家のご主人に焼いてもらった器などが並んでいます。
私も先日プレゼントを探しにキルンヤードにお邪魔した。自宅の庭に面した明るい店内には狭いながらも「大人の女性が選んだカワイイモノ」がセンス良くディスプレイされていた。
私はフラガールが刺繍されたノ.ノ.のハンカチといい香りのサシェを購入。
もう少し若い頃、キース・ジャレットのトリオ、「STANDARDS」にハマッていました。
このトリオでは沢山のアルバムを出していますが、私は初期のこの3枚が好きです。
このSTANDARDSを組むようになってからもキースはソロアルバムを何枚か出していますが、リリカルなソロより私の好みはやはりトリオです。
この3枚の中で、どれか1枚お薦めするなら左上のライブ版かな。全曲良いです!
2枚目にお薦めするとすれば、その下の青いVol.2。特に3曲めの「IN LOVE IN VAIN」と6曲めの「I FALL IN LOVE TOO EASILY」は大好きな演奏です。長年聴いていますが全く飽きません。
聴き過ぎてジャケットが色あせてしまった茶色のVol.1は私が一番最初に買ったCDです。「GOD BLESS THE CHILD」は衝撃でした。
ただ、どのアルバムもそうですがキースの唸り声にも似たスキャット(?)が時折聞こえてきます。私は嫌いではありませんが、気になる方がいたら悪しからず。
昨年、結婚した長女が出産のため帰ってきている。
思えば長女と次女はとても小さく生まれてきた。7ヶ月での早産、おまけに双子(二卵性)だったので彼女たちの体重は900g程しかなかった。
カミさんは板橋の実家から都立大塚病院のNICUに母乳を搾って届ける日々を送っていた。その間の一年近く私は家族と離れ、週末東京に通うという生活だった。
その母乳と先生方、看護師さん、スタッフの皆さんのお陰で彼女の今がある。人は生かされているのだった。
長女のお腹を見ていると、その頃の事を思い出し感慨無量になる。
手の平に乗るくらい小さかった長女が今、新たな生命を宿しているなんて・・・