昨日よりも私の部屋に慣れてきたルームメイトは、肩の力も抜けて今日はこんなポーズをとってくれた。
ルームメイト
私の部屋にフランスからルームメイトがやって来た。年齢不詳の女性だ。
身長は30cm位、小柄だがなかなかスタイルはいい。聞けばデッサンモデルをしていたと言う。
なぜ日本に来たかは聞かないでおいた。そのうち話したくなったら彼女から言うだろう。
「I Pray」
子供の一人が東京から千倉に帰ってくることになり、八王子まで家財道具一式を運びに行って来た。
タイミング良く友人のお子さんの大学進学が決り、冷蔵庫や洗濯機など電化製品を使ってもらえる事になり、現地で待ち合わせて引渡すことが出来た。部屋の掃除などを終え、荷物を私のくたびれたワンボックスに満載し快晴のアクアラインを走っていた。
少し疲れていたためかラジオを聞きながらボーッとして運転していた。ラジオからは震災関連のニュースが流れていた。
その時、辛いニュースの合間にかかった一曲のレゲエが私の耳を捉えた。ジャパニーズレゲエだった。はじめて聞いたその歌にしばし陶然となった。こんなにも気持ちを揺さぶられた歌を聴いたのはのは久しぶりのことだ。すごいシンガーがジャパニーズレゲエの世界にいた。
その女性シンガーの名はPUSHIM(プシン)、曲名は「I Pray」。彼女のソウルフルな祈りは被災地にきっと届くに違いない。Youtubeで見れる(聴ける)ので是非!
環境とエネルギーの軋轢
おおざっぱだが、日本の総発電量のうち6割が火力、3割が原子力らしい。石油をはじめとする化石燃料は発電時にCO2を放出する。CO2は温暖化の要因だし埋蔵量も100年もたないと言われている。ウランも21世紀中には枯渇すると言われているがCO2の排出は少なく、コストも火力より安いし核燃料を再処理してまた使用できる。しかしリスクが高すぎる。今回の福島の事故で世界は3回目の恐怖を味わってしまった。
これから節電を国を挙げて推進するにしても限度がある。すぐに全体の3割を占める原子力に変わる代替エネルギーがあるだろうか?狭い国土に大規模な太陽エネルギーのプラントをバンバン建設していくことができるだろうか?またそれでどの程度まかなえるものなのか?
ただ今回の災害で個人や地域の自前のエネルギーを持つことの大切さがわかったと思う。太陽光発電の強力な推進が始まるかもしれない。中東に依存している石油もいつパニックが来るかわからないし。
この国民は困難、苦難を糧にすることが出来る稀有な国民だ。いかなる事が起きようとも。
リペアーの日
冷たい雨の休日。クラッシュして使えなくなっていたサーフボードを修理した。
樹脂に硬化剤を垂らし、ガラス繊維を細かく切って混ぜる。壊れた箇所をサンドペーパーで擦りそこに作っておいた樹脂を塗る。
こんな作業をしていると千倉の仲間達と20代の頃に趣味でサーフボードを作っていたのを思い出す。その名は「CHIKURA SURFBOARD」。ちゃんとディケールも印刷した。もう今から30年位前のことだ。
予感
夕方ラジオを聞いていた。結構気に入りのDJの番組だ。彼は力を込めて言っていた「3.11でそれまでの世界が終わり、全く新しい世界(時代)になった。それは愛と助け合いの時代だ」と。
それを聴いていたら「カチッ」と私の中で何かのチャンネルが変わった音がした。
確かにこれだけの天災、危機に見舞われると絶対的価値観が変わってしまう。国も個人も。これからどちらに進むべきか?どう生きるべきか?
1つにそれは両極化という現象に表れたりする。パニックになり西方に避難する人々。もう一方で出番が来たら被災地に駆けつけ復興に協力したいと待機しているボランティアの若者達。
内外の援助もそうだが、ひょっとすると新しい時代の人間力で稀に見る復興を成し得そうな予感がする。
「シンプルに」
昨日、東京の交通機関は計画停電で混乱していたが、皆んな紳士的に並び不平を言わず電車を待っていた。私も何とか子供の用事を終え帰宅することが出来た。帰りの高速道路でタンクローリーや大型運送車を何台か見かけたので少しずつ物流が回復しているなと思っていたら、今朝近所のGSが再開していた。日本は人も社会システムもまだ捨てたもんじゃありません。
先の事、将来の事とかいろいろ考えると不安になるけれど「シンプルに」今自分がやれることをやろうと思う。節電&省エネ、義援金など。
日曜日からSand CAFEと散歩カフェ(潮風王国)に東日本大震災の募金箱を置かせてもらっている。
ようやくデジタル一眼です
家電量販店を何気なく覗いたら、前から気になっていたデジタル一眼がかなり安く出ていた。20ミリのパンケーキレンズが付いたLUMIXのGF1だ。
手に取って見ていると一人の店員さんが来て「それ最後の一台なんで丁度でいいですよ」と更なるディスカウントの提示。
そんな訳でだいぶ安く買えた分、外付けファインダーと14-45mmのレンズも購入した。
これで海の写真をボチボチ撮りたいと思っている。
ここだけの夢の話
今朝、不覚にも二度寝をしてしまい「ハッ」と目が覚めた時が夢の途中だった。
六本木ミッドタウンのエスカレーターを上っている時、後ろで私の背中を突付く人が居る。振り返るとなんとあの小向美奈子だった。「俺に用?」と聞いたら人懐こい顔で笑っている。丁度昼飯時だったのでランチを一緒に食べることになりレストランに入るとなぜか知人の男性Sさんに出会った。3人で食事をし、私がエスプレッソのすごく美味しいバールがあるから是非にと2人を誘い店に入った。(ほんとうに見た夢の話ですよ!)だが私たちはエスプレッソなど飲まずにカクテルをオーダー。バリスタはなぜかキューバ系のお爺さんでシェーカーは振らずにベコベコにつぶれたカクテルの缶からグラスに注いでいた。柑橘入りのそのカクテルがまたすごく美味くて真昼間からほろ酔い加減で次々におかわりした。私の隣には彼女がなんとも色っぽい笑顔を浮かべて座っている。Sさんも仕事に帰らずとことん付き合うつもりらしい。
時間にすると20分。夢のタイマーはそこで切れた。それから慌てて着替えを済ますと私は車に飛び乗り店に向かった。
思わぬ拾い物
食道ガンの療養からカムバックした桑田佳祐、55歳。最近ソロアルバムをリリースした。
東京のCDショップで何となく予感がしてその「MUSIC MAN」というアルバムを買ってみた。千倉への帰りの車の中でずっと聞いていたが、これが素晴らしいアルバムだった。
メロディー、詩、ヴォーカルが冴え渡る充実の17曲。きっと曇った心に風穴を空けてくれる1枚だろう。
時代のうねり
時代が大きくうねっている。毎日中東・アフリカ情勢から目が離せない。世界は連動・連鎖しているからだ。
この2~3年で大きく世界情勢が変化すると私は思っている。この国のようにトップの顔が短期間にころころ変わる国も無いものだが、それは政治家の問題だけではなくて時代の変わり目の不安定な波動にも起因している気がしてならない。
当分、政治の不安定な状態は続くだろうが特に今後悩まされそうなのが食糧の値上がりと不足だ。
いつの間にか世界は狭くなり「連動・連鎖の法則」に左右されるようになった。良くも悪くも。
老人と波
いつも楽しみに観ているKORDUROI.tvというサーフィンの動画サイトがある。コンテストとは無縁のいろんなスタイルのサーファー&サーフィンを覗くことが出来る。
最近では「Jhon Peck」というサーファーの動画が印象に残った。63歳という年齢ながら波と調和する様な、波と一体となる様なスムーズな波乗りをする。
ジョン・ペックの生活はサーフボードを削り、ヨガに没頭し、波に乗るというシンプルなものだろう。当然ながらスキニーな体型がベジタリアンだと言うことも物語っている。
私が彼の年齢位になった時、彼のようにベジタリアンになり、ヨガの信者になり、ロングヘアーのヒッピーっぽいジジイサーファーになっている可能性は充分ある。そしてその頃ビーチでハングアウトしているヒッピージジイは、私以外にも沢山居るに違いないと思う。いつかマウイのビーチで出会った光景のように。
Kitchens
Casa BRUTUSの「キッチン特集」。仕事柄キッチンとその道具類には興味がある。
デザイナーのキッチン、男っぽいキッチン、やかんコレクター、プロ愛用の道具公開など盛り沢山で楽しめます。
Winter Surf
南房総はいろいろな面でたいへん恵まれた地域だとよく思う。その中のひとつに波乗りがある。
黒潮の影響で冬でも海水はあまり冷たくならない。もちろん真冬はフルスーツは必要だが3ミリで過ごす人もいるし、天気が良ければブーツを履いていない人もチラホラ見かける。どんな風向きになっても対応できるポイントが点在し、全く波がフラットと言う日がまず無い。
今日もいつも北(東)風が吹くと行くポイントでいい波に恵まれた。しかし最近身体が思うように動かないしよく息も切れる。1月に54歳になったばかりだが、このままどんどん動きが鈍くなっていってしまうのか?そんな懸念を抱いてサーフする冬の日である。
スクラッパー
雑誌の切抜きなど、スクラップに精を出す人を「スクラッパー」と呼ぶ(私だけか?)
10代からなのでかれこれ30年以上になるスクラッパーだ。もはやレジェンドと言ってよい?
初めてスクラップしたのは高校生。確か資生堂のブラバスという男性用化粧品の広告だった。当時、ライフスタイルの情報を得るとしたら雑誌くらいしか無かった。メンズクラブや男子専科、平凡パンチにプレイボーイなど。
20代から30代は随分いろんな雑誌、洋書を買っては切り・貼りしていた。貼る順序や紙面の構成、全体のバランスなどを考慮しジャンル別に分類した。その作業はちょっとしたコラージュのようなものだ。(ピーター・ビアードの「Diary」には、かなり影響を受けた)
雑誌はいつのまにか大量にたまってしまうので、こんなことでもしないと整理できなかったということもある。